カテゴリ:老人のつぶやき
今日は、祖母の入院先にお見舞いにいった。
ナースステーションの隣の部屋というので、覗いてみると、 その光景に絶句した。 6人部屋。80を超えたと思しき老人ばかり。 完全寝たきりで管がすべての人に繋がれている。 私の祖母も酸素注入機が繋がっていた。 起きているのか寝ているのかもわからない。 祖母は数年前に、早く死なせてほしいんやけどな、といった。 しかし、医学の進歩は残酷に見える。 祖母は、私がいって、辛うじて名前を判別したが、 私が行ったことを理解したかどうかはわからなかった。 老年期をどう過ごすのか。 それは分からない。病気になりたくないけど、それもわからない。 ぽっくり逝きたいが、それが可能かもわからない。 小林純一(1983)は、死を間近に控えた高齢者が死を認識し受容する プロセスは、次のような段階だと示唆した。 1.恐怖、混乱、苦悩、絶望、不安を体験する 2.落ち着きを取り戻し、人生や様々のことを思い巡らす 3.死を受け入れる 4.残された時間を意味づける 5.感謝の心が生まれる 6.期待、喜び、希望、勇気の気持ちを体験する 人は、6のように人を超越した気持ちになるのは、死ぬ何日前だろうか。 私は、40年前である今、人生を逆算で考えられないか、模索している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.05 21:25:47
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