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カテゴリ:ミッション・ステートメント
「私は建業功業の災禍に見舞われることなく、 賢明なる先王に仕えて功業に一臂の力を添えることが出来たこと、まさに人生の上策。 しかし誹りにあって偉大なる先王の名誉を汚したことは大いなる禍根であります。 思いもかけぬ罪で疑いを受けながら、 僥倖を持って利を得ようとは道義的に出来ることではありません。」 「また古の君子は交わりを立ってもその悪語を語らず、 忠心は国を離れても自己の名を汚さず、と申します。 私は君子ではありませんが、しばしば君子に訓戒を受けております。 私が恐れるのは王が左右侍臣たちの妄寧に心を曇らすことであり、 疎遠な者を察せなくなるようになるのであります。 これに関して返書をしたためますのでこれを王が心に留め置かれるのであれば幸いです。」 楽毅 戦国時代の名将。(史記)「中華名将録」様より転載。 三国志で有名な漢末の軍師、諸葛亮孔明がこの文を読んで涙を流し感動したとされる文。 諸葛孔明の「出師表」(主君の劉禅に奉った上奏文。)と並んで、古来、名文中の名文とされている。 背景 時の強国斉には他の国はどこも逆らえない。 燕は内乱等に乗じられ斉の属国とされてしまう。 そこで燕の昭王は人材を集め国力の充実を図ろうとした。 (「隗より始めよ」の故事の郭隗 ) そこで集まった人材の中に当時既に著名だった楽毅がいた。 昭王は楽毅を丁重に扱い、重用した。 いよいよ斉への復讐となるが、燕一国では太刀打ちできない。 楽毅の力により対斉五カ国連合を結成し、斉との決戦。 結果連合軍が大勝し、連合は解散。 楽毅率いる燕軍だけがさらに進軍し、斉の都を陥落。 70余城を落とし、残るは2城となったところで、昭王が崩御。 深い信頼関係で結ばれた昭王と違い次の恵王は楽毅をけむたがる。 そこを斉の田単に付込まれ、離間の計により、 楽毅が斉王の地位を狙っている、と恵王が思い込み、将軍の交代となる。 楽毅は、帰国すれば命が危ないと趙へ亡命。 その後、楽毅の代わりの将軍・騎劫は田単にボロ負け、70余城悉く奪い返される。 ビビッた燕の恵王は、自分が騙されて楽毅を殺そうとしたことを棚に上げ、 楽毅を休まそうとして将軍を一時交代させただけなのに、 先代の王の恩義も忘れ燕を見限り趙に行くとは酷い、 趙に行くだけではなく、誤解して燕を攻めるつもりじゃないのか! そもそも誤解なのだから、燕に帰ってきてくれ! という手紙を楽毅に送ってきた。 この手紙への返書の最後の部分が冒頭の文。 超意訳すると、 「イヤイヤ先代の王様の恩は忘れてないですよ。 それどころか讒言に負けて罪を着せられてしまえば、 そういうものを重用した先王の徳をも汚してしまうので、 そうさせないために亡命したんです! それを口実に燕を攻めるなど考えてもいませんよ。 立派な人は友と交際を絶ったからといって悪口を言わないもの、 忠臣は国を去ってもその身の清さを弁明しないといいます。 私は立派とはいえませんが、立派な人達から教えを受けています。 私が心配してるのは、王様が近くにいる家来のでたらめな話で心を曇らせ、 疎遠な者の事を察せられなくなることです。 それで、この手紙を書きました。」 この手紙を受け取って初めて恵王は、自分の行ないを悔いたそうです。 日本では楽毅の何百倍も有名な諸葛孔明が尊敬してやまなかった人物がこの楽毅です。 この事実だけでも凄さが伝わってくれるかなと期待します。 悪口を言わない!自分の正しさだけを主張しない! なかなかできませんが、心に留めておきたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.06.20 23:35:02
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