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Carpe diem その日を摘め! (カルペ・ディエム) いまを生きろ! Carpe diem(ラテン語:カルペ・ディエム) 直訳すると「その日を摘め」 紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句。(『詩集』第1巻第11歌) 「一日の花を摘め」、「一日を摘め」などとも訳される。 (carpeは動詞 carpoの命令法、通常は花や果実を「摘み取る」の意で使われる) また英語では「seize the day」(その日をつかめ/この日をつかめ)とも訳される。 個人的には映画『いまを生きる』の主人公キーティング先生の口癖として好きな言葉。 (山下太郎のラテン語入門さんを参考にさせていただきました。) ホラティウス クィントゥス・ホラティウス・フラックス(Quintus Horatius Flaccus) 古代ローマ時代の南イタリアの詩人。アウグストゥスと同時代に生きたラテン文学黄金期の詩人。 作品に『風刺詩』、『詩集』、『エポーデス』などがある。 『いまを生きる』(原題:Dead Poets Society) 1989年のアメリカ映画。ロビン・ウィリアムズ主演、ピーター・ウィアー監督。 規則の厳しい全寮制のエリート名門校。規律で縛られ人生のレールに乗せられた生徒達。 そんな学校に型破りな英語教師が新しく赴任してきたところから物語が始まる。 彼はつまらなそうに授業を受ける生徒達に向かい「教科書なんか破り捨てろ」と言い放つ。 また、机の上に立ちあがり、視点を変える事の重要さを説く。 こうした破天荒な授業を通して、詩の本当の美しさ、生きることの素晴らしさについて教えようとする。 徐々にこの教師に惹かれていった生徒たちは、彼がかつて学生だった頃に作っていた 詩の朗読同好会を自分たちの手で復活させる。そして・・・・ ロビン・ウィリアムズ扮するジョン・キーティング先生は、テニスン、ソローやホイットマン等の 詩を通して固定観念に縛られない事、今を大事にする事等、人生について教えていくわけだが、 そこで登場したのが、昨日のO Captain! My Captain!(リンカーン大統領の追憶)だ。 この詩は朗読にちょっと出てきたというものではなく、物語全体に関わるモノだった。 自分の事をキャプテンと呼ばせ、キーティング先生と呼ばれても返事をしなかったりと、 生徒達から面白い先生だと信頼を得ていく切っ掛けになる。また最後のシーンでも・・・ 原題はキーティング先生がこの学校の生徒だったころ結成した同好会の名前。“死せる詩人の会” 既に死んでしまった詩人による古典詩を朗読する事からの命名。 邦題は冒頭のキーティング先生の口癖であるカルペ・ディエムから。命令形ではなくなっている。 キーティング先生の型破りな授業に対して批判的だった校長はある事件の責任を彼に押し付け、 退職に追い込む。 最後に生徒達がキーティング先生をキャプテンと呼び、机の上にあがるシーンは感動もの。 保守的な校長へのせめてもの反抗なのだが、生徒全員が参加するわけではないところも 現実味がある。気が弱く仲間の後ろを付いて行くような生徒が先導を切るのが憎い。 涙が自然に溢れてくるシーン。私の一番好きな映画の一つ。 (キーティング先生は英語教師ということだが、英語圏で英語の先生という事は国語の先生。 先日の 『ROOKIES』(ルーキーズ)川藤先生といい、金八先生といい、もはや学園モノに 国語教師は定番ですな。) 同じラテン語で関連するが異なった表現に、「メメント・モリ」という言葉がある。「(自分が)死ぬことを覚えていなさい。」という意味。 Memento mori. 死を忘れるな 一日一日を花々と思う。 何気なく過ぎゆく毎日を、いわば花畑の花々とみなし、 花の一本一本を愛おしむように日々を愛すのがよい、 という意味が込められているそうだ。 Carpe diem カルペ・ディエム 一日という花を摘んで行こう!! 最後にホラティウスの詩もご参考に(ここも山下太郎のラテン語入門さんから。) Tu ne quaesieris, scire nefas, quem mihi, quem tibi finem di dederint, Leuconoe, nec Babylonios temptaris numeros. ut melius quicquid erit pati, seu pluris hiemes seu tribuit Iuppiter ultimam, quae nunc oppositis debilitat pumicibus mare Tyrrhenum: sapias, vina liques et spatio brevi spem longam reseces. dum loquimur, fugerit invida aetas: carpe diem, quam minimum credula postero. Quintus Horatius Flaccus 神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、 レウコノエよ、そんなことを尋ねてはいけない。 それを知ることは、神の道に背くことだから。 君はまた、バビュロンの数占いにも手を出してはいけない。 死がどのようなものであれ、それを進んで受け入れる方がどんなにかいいだろう。 仮にユピテル様が、これから僕らに何度も冬を迎えさせてくれるにせよ、 或いは逆に、立ちはだかる岩によってテュッレニア海を疲弊させている今年の冬が 最後の冬になるにせよ。 だから君には賢明であってほしい。 酒を漉(こ)し、短い人生の中で遠大な希望を抱くことは慎もう。 なぜなら、僕らがこんなおしゃべりをしている間にも、 意地悪な「時」は足早に逃げていってしまうのだから。 今日一日の花を摘みとることだ。 明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから。 クィントゥス・ホラティウス・フラックス(『詩集』第1巻第11歌) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.11.08 12:27:50
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