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テーマ:生き方・人生訓(163)
カテゴリ:ミッション・ステートメント
私の生涯の中(うち)に出来(でか)してみたいと思うところは、 全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて 真実文明の名に恥ずかしくないようにすること 『福翁自伝』1899年(明治32年) 福澤 諭吉 (天保5年12月12日(1835年1月10日)- 1901年(明治34年)2月3日)は、 日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。 慶應義塾の創設者。『学問のすゝめ』『福翁自伝』等など。 (「最高額紙幣の人」であり一万円札の代名詞でもある。笑) 『福翁自伝』は福澤の自叙伝で、慶應義塾大学では毎年新入生に配布されるそうだ。 今日、2月3日は雪池忌(ゆきちき)とよばれる福澤諭吉の命日。 戒名は「大観院独立自尊居士」。享年66歳。 『学問のすゝめ』と慶応義塾大学で有名だが、ホントにすごい人だ。 (勝海舟を批判してのやり取りなどで、私は海舟派なんですがね。) 明治維新後の日本に脱亜思想(中華思想・儒教精神から脱却して西洋文明をより 積極的に受け入れる)の流れを作ったことは、近代化への貢献が大きい。 現代は逆に脱“欧”思想で儒教などの精神を取り戻す事が大事な気がするが、 欧米列強がアジア進出を続けていた当時としては、やはり必要な事だったに違いない。 また会計学の基礎となる複式簿記を日本に紹介した人物でもある。 (借方貸方という語は福澤の訳。) 保険代理店を生業にしている私にとってはずせないのは、保険制度を日本に紹介した事。 「災難請合の事-インスアランス-」と訳している。 生命保険は生涯請合、火災保険が火災請合、海上保険を海上請合とし、 この三種の災難請合を紹介している。(『西洋旅案内』) (請合とはなるほど・・・。でも安請合いしてしまいそうで、ちょっと怖い。笑) その他にも数多くの業績を持っている。 今日の言葉は、そんな諭吉のミッション・ステートメント※とよべるだろう。 (※・・・こうしたいこうなりたいという生き方宣言) なんと亡くなる2年前の64歳の時に言っている言葉。 今でこそ60歳代はまだまだこれからという感じがするが、 当時はそうではないだろうし、最初の脳出血の前とはいえ、 晩年だという自覚はあったであろう。 それなのに生涯のうちに成し遂げたいことを思い描いている。 それも並みのスケールではない。 全国の男女を次第に教育して、その気品を高尚に導き、本当の意味で文明国としていく! と日本という国全体を導く事を考えている。 (単に全国民とせずに、全国男女というのが諭吉らしい。 当時の男社会で全国民としても、女に教育は不要だという輩が多かっただろうから、 男女平等の思想で、敢えて男女としたんだろう。) スゴイ! 私たちはどうだろう。 したい事を考える前に、自分の年齢、資金、学歴、資格etcと自分の不利な事を勘定し、 勝手に制限をつけたりしてないだろうか。 諭吉は、自分の使命を最後まで成し遂げようとした。 病で執筆が難しくなったが、弟子達に国民を教育する為の教訓集の編纂を命じ、 『修身要領』を完成。1900年(明治33年)に自らが創刊していた新聞で発表。 その年のうちに福澤自身が全文を揮毫している。 翌1901年(明治34年)に亡くなったが、その約半年後に出版された。 ご参考に「近代デジタルライブラリー」収録の『修身要領』 実に見事な晩年。 自らが勝手に、自分自身に制限をつけるのは間違いだ! 不利な条件を数え上げても意味がない。それは言い訳に過ぎない。 見習わなければなるまい! あなたにとって、私の生涯の中に出来してみたいと思うところは何でしょう? ところで福澤諭吉は、 「高尚で、文明の名に恥じない」とはどんな人だと考えていたんだろうか? いや、長くなりそうなのでここまで。続きは次回。 (前回予告した『神曲』もあるし・・・、ヤバイなぁ!汗) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.04 01:21:49
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