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2011.02.05
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人の自由独立は大切なるものにて、
この一義を誤るときは、
徳も脩むべからず、
智も開くべからず、
家も治(おさま)らず、
国も立たず、
天下の独立も望むべからず。

一身独立して一家独立し、
一家独立して一国独立し、
一国独立して天下も独立すべし。
 


福澤諭吉 『中津留別之書』明治三年(1870年)



『中津留別( なかつりゅうべつ )の書』
留別とは、別れ去る者が残る者に留め置く言葉の意。
母親を東京へ呼び寄せるため中津(現在の大分県)に戻った時に、
故郷の人びとに残した書。



先日の続き。
福沢諭吉は、「高尚で、文明の名に恥じない」とはどんな人だと考えていたのか?
これは人間とはどうあるべきか?!という福澤の理想像にも繋がっていく。
また全国民が「文明の名に恥じない」ということは、欧米列強と伍していくために、
「文明国として認められる」という国家の将来像というニュアンスも感じられる。

さてさて・・・


この『中津留別の書』は、福澤が生涯かけて伝えようとしたメッセージのエッセンスが
詰まっているように思う。(全文がこちらインターネット図書館・青空文庫で読める。)



その冒頭部分を見てみる。

人は万物の霊なりとは、ただ耳目鼻口手足をそなえ言語・眠食するをいうにあらず。
その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし、
物に接し人に交わり、我が一身の独立をはかり、我が一家の活計を立ててこそ、
はじめて万物の霊というべきなり。

古来、支那・日本人のあまり心付かざることなれども、人間の天性に自主・自由という道あり。
ひと口に自由といえば我儘のように聞こゆれども、決して然(しか)らず。
自由とは、他人の妨をなさずして我が心のままに事を行うの義なり。

父子・君臣・夫婦・朋友、たがいに相妨げずして、
おのおのその持前(もちまえ)の心を自由自在に行われしめ、
我が心をもって他人の身体を制せず、おのおのその一身の独立をなさしむるときは、
人の天然持前(もちまえ)の性は正しきゆえ、悪(あ)しき方へは赴(おもむ)かざるものなり。
 


引用にしてはちょっと長過ぎ?笑

その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし・・・は、 
偶然にもこないだの『神曲』で紹介したオデュセウスの演説にでてきた言葉、
「諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである」と酷似している。
(人間の考える事は、洋の東西を問わず、おんなじ。)
だが、福澤はここで終わらない。更に独立の重要性を説く。次に自主・自由に進む。


この後有名な表題の言葉がでてくる。

人の自由独立は大切なるものにて、 
このたった一つのことを誤るだけで、
人として大切な、徳を修めることも、智も得る事もできず、
故に家も国も、ひいては天下の独立も望むことができないという。


諭吉は、最終的に、欧米列強国と対等の文明国として日本を認めさせ、真の独立を勝ち取る。
そのために、全国の男女を教育して高尚な人間に導こうとしていた。
・・・・と思うのだが、どうだろう。


するとそのためには、個人一人一人が一身独立することが必要になる。
自由独立は大切、自主・自由という道あり、・・・もそのことを言っているんじゃないか。
(自由については、ここでも単なる我儘とは違うと断っているが、
「自由在不自由中(自由は不自由の中にあり)」という言葉で、
 自分勝手主義へ堕することへ警鐘を鳴らしていた。)


同じような意味で、福澤の代表的な言葉に「独立自尊」という言葉がある。
この言葉は諭吉の戒名にまでも用いられている。(戒名は「大観院独立自尊居士」。)
余程この言葉を大事にしていたのだろう。


前回触れた、教訓集『修身要領』の第二条でこの言葉を定義している。
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、
之を独立自尊の人と云ふ」
 


そして、国民を高貴に教育する為に作られたこの教訓集の第一条が、
福澤の理想とする人間像であり、今回のテーマの答えとなる。

「人は人たるの品位を進め智徳を研きます/\其光輝を發揚するを以て本分と爲さざる可らず
吾黨の男女は獨立自尊の主義を以て脩身處世の要領と爲し之を服膺して
人たるの本分を全うす可きものなり」

(『修身要領』第一条)。

※黨〔党〕(とう)・・・仲間。共通の利害などで結ばれた集団
※服膺(ふくよう)・・・常に心にとどめて忘れないこと。「膺」は胸の意。


(超意訳)
人は人としての品位を進め知恵と人徳を研き、益々そのかがやきを高まらせる事を
本来尽くすべきつとめとしないわけにはいかない。
我国の男女は、独立自尊の主義をもって修身処世の要(かなめ)として、
これを心にとどめて忘れないようにし、
人として本来尽くすべきつとめを全うすべきものだ。


「独立自尊」

依存し合ってばかりいてはダメなのはハッキリしている。
他人の所為にしてばかりもいられない!
また、卑下してばかりいる人には何も成し遂げる事はできないだろう。
自分のことが嫌いであれば、人のことを好きになり、思いやる事ができるものか。

「独立自尊」この言葉を胸にしまっておかなければいけない。



欧米のリベラリズムに影響を受け、脱亜思想である諭吉の思想。
その根本が儒教(「礼記」大学 経(けい)一章)の修身斉家治国平天下から来ているのは奇妙な感じ
がするが、元武士である以上、儒教の素養は幼いときから積んでいたであろうから当然でもある。
軽薄に西洋を賞賛していたわけではない事がわかる。
異質な文化を咀嚼し自分なりのものを打ち立てていった。
そこには旧弊を打ち壊しながらも、日本人として培った教養が背骨としてしっかりと根付いている。

改めて日本の江戸時代の教育水準の高さを誇りに思う。
(今は恥じ入るありさま。だけれども・・・。汗
 その気になればやれる民族のはず!)


※修身斉家治国平天下(「礼記」大学)
まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治める。
そうすれば天下は平和に治まる。




福澤諭吉と並んで「天下の双福」と称された、福地桜痴(おうち)という人がいた。
(本名、福地源一郎)
「日本十傑」の指名投票で最も票を獲得したのが福沢諭吉。ついで福地源一郎であった。

「日本十傑」
明治18年(1885)『今日新聞』(現『東京新聞』)が、その時代において各界を代表する
人物の指名投票をもとに発表されたもの。


福地は、福沢が没した時に、指折りの名文とされる次のような追悼文を送っている。


「明治七年余が東京日々新聞を主宰するに当たり、
君は余に告げて曰く、足下が新聞事業に従う、はなはだよし、
ただただ慎みて政府と提挈(ていけい)することなかれ。
提挈せば必ず足下を誤らんと。
果たしてしかり、余は君の忠告を挌遵(かくじゅん)せざりしがために我を誤りたりき。
噫々(ああ)君は余が益友なり信友なり、君かつて余に背かず、余実に君に背けり。」



なるほど、桜痴の心情、諭吉を悼む気持ちがよく表れていて名文だ。



前回「続く」で延ばしたため「雪池忌」ではなくなってしまったが・・・

遅ればせながら


合掌



   
   






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Last updated  2011.03.02 13:31:04
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