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2011.02.06
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カテゴリ:処世術
 
ただ良心だけが私の支えだ、
 良心というのは人間の良き伴侶で、
 自己の潔白の自覚が人に強みを与えてくれる。
 
 

『神曲』 地獄篇第二十八歌 ダンテ・アリギエーリ 平川祐弘訳


「話すのも恐ろしいものを見た。」に続く言葉。
そして、「確かに見た。いまも目の前に浮かぶ。」とその恐ろしいものの描写が始まる。
(胴体が斬り落とされた首の髪をつかみ、まるで提灯のように手にさげて行く。)
(ベルトラン・ド・ボルン:以前の「怠惰・・・」に挿入した挿絵

自分に後ろめたさがないということは誰に対しても正々堂々としていられる。
だから良心に従っていれば、その引け目を感じる必要がないことが強みになる。
・・・ということだろう。

そのことが恐ろしい光景を目撃した時の支えになるかどうかは疑問だが、
日常であれば強みになるのは間違いないだろう。




「不幸の日にあって
 幸福の時を思い出すほどつらい苦しみはございません。」



フランチェスカ 地獄篇五歌


地獄巡りが始まり、辺獄(リンボ)と呼ばれる第一の圏谷(たに)を抜け、
罪業を糾すミノスを過ぎ、第二の圏谷に入った。
その地獄では、肉欲の罪を犯した者が地獄のひょう(風編に炎)風に小止(おや)みなく
煽られ吹きまわされている。
死後も二人一緒になったままで、パオロとフランチェスカの魂が飛ばされてきた。
ダンテの問いに答えて、フランチェスカがその悲恋の身の上を語り始めた時の台詞。


「幸福なりし日を回想するより大いなる苦しみはなし」 
「不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。」
 
このような訳で名言とされ引用されている。





「自由を求めて彼は進みます、そのために
 命を惜しまぬ者のみが知る貴重な自由です。」
 
 

ウェルギリウス 煉獄篇第一歌


地獄から煉獄の島に抜け出たところで、煉獄の番人カトーに、
(地獄から逃げ出してきたのかと疑われ)奈落の掟が破られたのか?
と身の上を問いただされたことに、ウェルギリウスが答えた中の一節。


政治的な自由を求めるスローガンに転用され、全体主義に対抗する人々のモットーと
もなった言葉。もともとは罪の奴隷である自分を解放し、肉体から自由になるという
宗教的な自由を意味するものらしい。


ちなみに、このカトー翁とは、紀元前95年に生まれた人で、ローマの共和制と自由を守る
ためにカエサルと戦って敗れ自害したのだそうだ。

紀元前の人ということはキリスト教の信者ではない(異教徒)のだから、
ウェルギリウス同様、洗礼を受けなかった者がいる地獄の第一の圏谷(たに)・辺獄
(リンボ)にいるべきじゃないのか…。その上、自殺者だという。
自ら命を絶った者は、更に地獄の底に近い、第七圏谷の第二円で樹木と化しているはず。

訳注でもこのことに触れられていて、
ダンテは彼を倫理的な理想人物として尊敬していたから、地獄の自殺者達の中に加えず
ここの守衛としたのであろう。
と解説されている。


ダンテの好みで地獄・天国が自由自在。(苦笑)





「私について来い。勝手にいわせておけ。
  風が吹こうがびくとも動ぜぬ塔のように
  どっしりとかまえていろ。
 次から次へと考えが湧く男は、
  とかく目標を踏みはずす。
  湧きあがる力が互いに力をそぎあうからだ
 


ウェルギリウス 煉獄篇第五歌


生前悔悛の遅かった者が待たされている煉獄前地で、ダンテが影を作っている 
(生身の体を持ち生きている)ことに気づいた亡者が、そのことを叫んだので、
その声を気にして振り向いたダンテに、ウェルギリウスが注意した言葉。


最初の一文は、
「お前の道を進め。人には勝手なことを言わせておけ。」 
「汝は、汝の道をゆけ。そして人々にはその言うにまかせよ」
  
等の訳文で名言として引用されることも多い。

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。」 勝海舟や
「世の人は、われをなにともゆわばいえ、わがなすことはわれのみぞ知る」坂本龍馬 
といった言葉と同じ意味だろう。


だが、後半部分も前半に劣らずに示唆に富む。
一つの物事に集中せず、色々な事に気をそらしていてはダメだということ。





「もうそのくらいにして前へ進め。
 ここではみな帆をあげ櫂を使い、
 全力を尽くして己の舟を進めねばならぬ」
 


ウェルギリウス 煉獄篇第十二歌


煉獄の門をくぐり第一の環道で高慢の罪を清めている亡者(細密画の名人オデリージ)とダンテが、
「軛(くびき)につながれた二頭の牛のように、その重荷を背負った魂と並んで進んでいた」。
その時にウェルギリウスがダンテを叱責した言葉。


煉獄では、魂はみな罪を清める為に全力を尽くしているのだから、
邪魔をするのはいい加減にして、おまえも前に進め!という意味。
だが、
現実の人生においてもみな、帆をあげ櫂を使い、全力を尽くしている。
おまえも自らの人生を、力一杯、前に進んで行け!
ともとれないか。

この言葉を受け歩き出したが、まだ足取りの重いダンテに、ウェルギリウスは
「目を下の方へ向けて
  おまえの足が踏みしめる大地を見るがいい、
  足取りがずっと楽になるだろう」

とアドバイスしている。
遠い道のりの先の事、やるべき事の全体を見ていると、あまりに遠かったり、
大きかったりする為に足取りが重くなる。
今なすべき事、目前の一歩と小さく分割し、集中することで、楽になる。





意志は、意志が欲せぬかぎりは、滅びるはずはなく、
 暴力が加えられて火が弱まることが千回あろうとも、
 なお火勢が自然と盛り返すように、意志もまた燃えあがるはずのものです。
 


ベアトリーチェ   天国篇4歌


ダンテはベアトリーチェとともに煉獄から天国に渡り、月光天にいる。
誓願を立てたにもかかわらず、それを破ることを余儀なくされた人々の魂が
この一番低い天球に割り当てられている。
ここで俗世を遁(に)げ、尼僧となる誓願をしたにもかかわらず、力ずくで還俗され
結婚する事になった大王妃コンスタンツァ達の話を聞いた。(第三歌)
そこで他者の暴力によってなぜ善い願いの功徳が減じるのか疑問に思ったダンテに
ベアトリーチェが説明する中の言葉。
 
この言葉に続き、
暴力は意志が薄弱になるにつれ、
 強くなります。
これらの方々は清らかな場所へ
 逃げるだけの力があったのにあのように負けてしまいました。
とある。


意志は、他の何者も変えることはできない。
それを変えるのはただ意志の力のみである。

意志は、自ら願うにあらざれば滅びず、あたかも火が千度も強いて撓めらるとも、
なお、その中なる自然の力を現すごとくなり。
 
という訳もある。




神曲 (La Divina Commedia )から、教訓は山ほど出てくる。
キリがないし、私自身、神曲は終わり、と一区切りを付けたかったので、
このように一気に大放出する事にした。
ネタ切れの際には又復活させるかも知れないが・・・笑



何度かご紹介したギュスターヴ・ドレの挿絵は『神曲』の世界を見事に映像化してくれる。
600年近くも年が離れており、ダンテの思い描いた世界とドレの描いた世界は違うのかも
しれないが、この二人の天才の合作は素晴らしい。

『無為庵乃書窓』というサイトでバーチャル画廊化されているドレの挿絵を見つけたので、
そちらでお楽しみ下さいませ。
Dante's The Divine Comedy(神曲)



    
 
 
   
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Last updated  2011.02.06 15:49:36
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