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2012年04月26日
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カテゴリ:わたしの思い出
ずっと昔、ボランティアについていった事がある。

ある大きな病院の院長先生と副院長先生に
英会話を教えているアメリカ人に助けてくれと言われたのである。
「先生方が難しい日本語を使われた時、辞書が省略できればより効率よく授業が出来る」
要するに、つるし雲、英和辞典大作戦!である。

当時、私は20歳そこそこだったが、早くも白髪が混ざり始めていた。
遺伝的に、白髪になりやすい家系だが、
勉強や、対人関係、薬の副作用と理由はさまざま考えられた。
しかし、かなり長く伸ばして横側の髪を頭頂部でバレッタで止めるスタイルを
幼い頃から、頑としてやめなかった。
今は、そこまで伸ばす事は、事実上(毛染めの回数と費用)無理で
ショートへアにくるくるパーマで、少々の白髪も目立たず若々しく装っている。

しかし、もともと、私はおしゃれに凝るタイプではない。
講師のアメリカ人たちはスーツを着て、講師です!と
「白い巨頭」にも似合いそうないでたちを心得ていたが
私は、スーツなんて無かった。
第一、その病院まで自転車で行かなければならなかった。
しかし・・・大病院の院長室か。

仕方ない、清潔だけは心がけた。
アイロンをしっかり掛けたシャツ、かかとは低いが、万が一ようの、磨き上げた革のパンプスという
いでたちだった。

しかし、到着すると、想像以上に広く、いかにも「偉いサンが来ますよー」という院長室に
飲み込まれ、キョロキョロするという無作法をしてしまい、
英語で自己紹介してください、と
アメリカ人に言われるまで、先生方のお顔を、私は直視すらできなかった。

「はじめまして。少し驚いています。。。
私は、彼らの友人の、つるし雲です。
今は、◎※大学で、社会保障の勉強をしています」
保障、という単語が一瞬、誰も出てこず、
助け舟を出してくださったのは、院長先生と副院長先生。
英和辞典作戦、いらないじゃない!泣きたくなった。

すると、アメリカ人たちは、よせばいいのに、
いや、これがお国柄だろう、

「彼女は、僕たち外国人仲間で『プリンセス紀子』にそっくりだと噂なんですよ!」
と、とんでもない「ご発言」をなされたのだ!

「ちょ、ちょっと!・・・恐れ多い事、行っちゃダメよ!友人に、
もっと、そっくりな人がいるんです。今度は彼女と交代しますね。」
もう!日本語全開じゃない!!思わずうつむく私。
しかし、大病院のトップに成られる方というのは、小さなものにお優しい様だ。
みんなが笑ってくれ、少しホッとした。
(私は、西洋人が見ると「紀子さま似」らしかったが、
親友は、誰がみても、本当によく似ていた。)

その日は、それほど私の出番は無く、
「タダで、英語の勉強しちゃったなぁ」と、気疲れだけが残ったが、
あれから20年以上たっても、院長室の洗練された細部に渡ってまで思い出せるのだから
きっと、私にとって「嬉しい出来事」だったのだろう。
そして、とても「居心地が良い」空間だったのだろう。
実は、このとき、私はかなり酷い対人恐怖症にかかっていた。

次の週。それなのに、友人と交代せず、
私はまた、自転車をこいで重々しい扉の向こうの院長室を訪れた。
その日は非常に会話がはずみ、控えめな副院長先生も、身を乗り出して
見え、つるし雲も、それなりに忙しいレッスン時間だった。

1時間半後、お二人は、普段、冷静なお医者様だそうだが、よほど心が踊られたのだろう、
「では、またお邪魔させていただきます」と、いとまごいのご挨拶を申し上げたつるし雲に
「紀子ちゃんだったねぇ」と
院長先生がニコニコと握手をしてくださったのである!
仰天する私の顔が、よほど面白かったのか
副院長先生が、噴出したいのをこらえながら、
うんうん、と満面の笑みをたたえておられた事を、私は忘れる事ができないだろう。

残念な事に、その後、お二人にお会いする事はできなかった。
私は、長期静養のため入院、学校も休学した。

アメリカ人たちも、次々と帰国し、家庭を持った。

もともと、ジャズが好きな私は、今、取り組んでいる心理学検定の勉強が
一区切りついたら、ご褒美に「由紀さおりさんの『1969』」を聞こうと思っている。
今のお供のCDは「集中力」アップ用のものだ。
(株式会社デラから、雑貨屋さんなどでも手に入るCDとして、
「オルゴールの音色のCD」「ヒーリング用」などお持ちの方も多いと思う)

しかし、ダメかもしれないな。と、ふと、集中力がとぎれ、泣きたくなる日がある。
勉強なんかやめれば?ハローワークにいけば?お見合いしてみれば?
そんな自問自答をするとき
私は「学生時代」を口ずさむ。ペギー葉山さんの、あの名曲だ。
(「東京タムレ」というアルバムで、原由子さんがカバーされているのもとてもいい)
私の学生時代は、思い返すと苦笑の連続だが
それでも、今よりも、多くの夢があり
多くの悩みも、また、かわいいものであった。
しかし、そのとき出した答えが、今、という
「当時の未来」を決定している事も、ある程度、事実である。

今、決心している事は、
どんな未来に連れて行ってくれるのだろう。

あの院長室での「学生時代」を栞にして
今日は、このページを閉じたいと思う。








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最終更新日  2012年04月26日 17時05分35秒
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