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カテゴリ:sports振興と街づくり
昨日(高原選手と遭遇したある日の出来事)の続きです。
-------------------------------------------------- 昨年末(だと思う)、都内のとある店先で、そこを訪問されていたタカとばったりお逢いしました。 「プライベート中にすみませんが、少し話しかけても宜しいでしょうか?」 先程までタカの友人(この店の店員さん)たちと楽しそうに話をしていた彼は、あたしの問いかけに気付くと、「はい、どうぞ」と云って少し改まった顔でこちらに向いてくれました。 内心あたしゃあなたたちのファファファファファファンなのよ~っという気持ちがはやってあわあわしていたあたしですが、取り敢えず話したかった事があったので、なんでもない振りを頑張ってしつつ、「いつも応援しています。」と、先ずは勤めて冷静にご挨拶。 そして、 「高原選手は三島市のせせらぎ大使を勤めていらっしゃいませんか?」 と切り出しました。 タカは一瞬、思いがけない事を云いわれたという風にポカンとして、それから 「あぁ、はいはい。そうです」 と笑顔で頷いてくれました。 「○○課のS室長をご存知ではないですか?後援会の会長さんでもあられる・・・・」 「はい、良く知ってますよ」 「あたしは東京の設計会社に勤めている者なんですが、実は三島市の街中がせせらぎ事業の仕事に長いこと関わっていて、随分と前からS室長より高原選手の事を自慢されていたんです。あたしも自分が深く関わっている仕事に縁の在る「せせらぎ大使」に高原選手がいらっしゃるのをとても嬉しく思っていたんです。お逢いできて大変嬉しいです」 すると、ここまで聞いていたタカは、ごそごそとGパンのポケットを探り始めました。 ナニをしてるんや?と思っていたら、ポケットから財布を見つけ出し、そして中から一枚の名刺を引き出して見せてくれました。 満面の笑みで示したその名刺は「せせらぎ大使」の名刺でした。 その名刺をほほうと認めたタカの友人が、話に参加してきます。 「そういえば、せせらぎナントカってタカ前にも云ってたよね。その名刺もさぁ、その時に嬉しそうに見せてくれてさぁ。お客さん、せせらぎの仕事してるんだ。ナニやってるの?」 「カクカクしかじか・・・・・」(と、あたしは簡単に説明し) 「そっかー。そんでそんで?」(興味深深で友人さんがあれこれ聞いてくれます) 「こないだ帰ったら、三島の駅前も凄い綺麗になってたんで、あぁ、やってるなって思ってたんすよ」 タカは郷里の自慢を始めました。 それからあたしたち3人は、行政担当者のS室長の話や住民の力で変っていく三島の様子、その事業に参加している事をタカがとても喜んでいる事、タカのご友人も散々このせせらぎ事業の話をこれまで聞かせられていた事などを話しました。 話し始めて10分程経った頃にあたしのツレのQooが店での買い物を終えたので、それを機に会話を終わらせ、挨拶と握手をして貰って、タカと友人さんとさよならしました。 帰り際、興奮するあたしの脳裏に先ず浮かんだのは、ドイツから帰国したばかりのタカの財布に彼の名刺が入っていた事です。 そして、自分がせせらぎ大使になった事を本当に嬉しそうに友人たちにも話していたという事。 著名人が郷里の広告を行うことは良く在りますが、こんな風に名誉として捉えていて、素直にその役割を喜びとして受け止めて居るという事を始めてきちんと知りました。 それから数日後。 この話を打ち合わせで訪問した折に件のS室長に話しました。 すると、今度はS室長が嬉しそうな顔で、「そうだろー?そうだろー?だから頑張んなきゃいけないんだよ。うんうん」と喜んでいました。 自分たちが委託した仕事でもあるけれど、郷里の自慢のアスリートが進んで街を盛り上げていこうとしている事を伝え聞いて、余程嬉しかったようです。 打ち合わせ後、今度は役所の帰りに何時も寄る川の辺に向かいました。 その川端にはお馴染みのおじさんが居て、じっと水辺を眺めていました。 「こんばんは」 「おう。こんばんは。これから東京帰るの?」 「はい。」 「今さ、せせらぎ事業の方でこの花壇をどうにかしようって話になっててさ、どうしたもんかなーって考えてるんだけど、なんか良い方法あったらまた今度あんた教えてくれよ」 おじさんとその仲間は、街中がせせらぎ事業の始まるずっと以前から、自分の家の前の川を自ら掃除し、川に住む生物や水質の調査などをしたり、子供たちと一緒に川遊びを研究したりしています。 こういう活動も、市民自らのまちづくりのひとつとして、とても大きな力となっています。 「街中がせせらぎ事業」でも、こうした既に実践されている様々な住民の活動と連携をとって進めていこうという考えを持っているので、このおじさんは役所の担当者に相談されたテーマを夕方の川端に立ってひとり思案していたところでした。 「こないだね、タカに逢ったんですよ」 「どこで?」 「東京で。全くばったり偶然にですけど」 「そうかぁー。帰ってきてたんだねぇー」 タカと云って直ぐに「何処のなんてぇタカさん」だか判るのは流石に地元です。 「その時にね、三島の水辺とか、例のせせらぎ大使のこととか、彼とても嬉しそうに話してましたよ。それから、ちゃんと三島の街が変っていってるのも知ってました」 そうあたしが報告すると、おじさんは、 「そっかー」 と頷いて、 「だから俺たちも頑張んなきゃいけないんだよ。うんうんうん」 と、S室長と同じく満面の笑みで川端に戻って行きました。 今回の話の中でのタカは、実際に街に立って何かをしている訳ではありません。 しかし、「まぁ、ただ、これだけの話なんです」というものでは決してないと、あたしは思っています。 自分が生まれ育った街を遠く離れ欧州の地に移ってからも、お財布に郷里の大使の名刺を忍ばせ、街の変化を気にかけています。 三島市の住民たちは、ほっとする街づくりを目指して自分たちのできる事は何かを考えながら今日も川辺を小路を眺めて暮らします。 住民が育てている街に思いを寄せて、タカは愛しそうに目を細め、住民たちは自分たちのしている事をちゃんと知っていて事在るごとに広めてくれるタカの姿勢を励みにしています。 もしかしたら、こういう光景はあちこちの地域で見られるものなのかもしれません。 スポーツ選手の地域との接し方のひとつの方法を見た気がして、ちょっと嬉しくなりました。 高原選手との出来事から見る地域密着の一例のお話でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 11, 2004 11:28:27 PM
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