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カテゴリ:書評
岩波新書。一気に読破。精神科医、心理学者10人の寄稿によるオムニバスの読み物で、すごく面白かった。
中でも、境界例の専門医である鈴木茂氏の話が驚き満載で読み応えあり。 「精神科の世界では、患者に受容と共感を示すことが原則だが、境界例の患者の愛情欲求は限りがないので、原則に従っていると治療者のほうがつぶれてしまう。ここがやっかいなところである。」 「むしろ、受容や共感は、境界例の患者が自分の足で立つことを阻害するから、患者にとって有害でさえある。」 「治療者は、冷たく事務的に思われるくらいな態度で、その場しのぎの対応を続けていけばよい。40歳を過ぎると、75%の患者は境界例の症状から脱する。年齢が解決するタイプの病気であるから、40歳まで生き延びさせることを第一に考えればよい。」 「かまってやっているうちに重荷になり、途中で投げ出す治療者が非常に多いが、その対応は最悪である。最初から、あまり入れ込みすぎないで治療に当たることを心がけなければならない。」 それから、香山リカが、「本当の自分とは??と捜し求め、今の自分は本当の自分ではない、本当の自分はどこか別のところにいるはずだ、と考える若い人が非常に多いけれども、これは言うなれば解離性障害の症状であって、病的だ」と断じていて、なるほど!と思った。僕も「自分捜し」ブームをなんとなくうさんくさいと思っていたから。 あと、複数の論者が、「自分が今、メンタル的に不調なのは、すべて過去のトラウマによるものです。そう、わたし、アダルトチルドレンなんです!親による被害者なんです!!」みたいなことを主張する患者さんが非常に増えている、と語っていた。僕も、ネット上には自称ACの人が多いなあと不気味に思っていた。自分はトラウマや親による無辜の被害者である、と思い込むことで自分を納得させ、安心する心理が働くのだろうか。 そりゃ、僕が発病したのは過重労働が引き金になっていることは明らかであり、自分のことを「会社につぶされた被害者だ」と思いたい気持ちはある。でも一方で、肩に力を目いっぱい入れて、周囲に負けまいと頑張りすぎた僕自身のパーソナリティだって発病の要因のひとつになっていると思うし、そこに気づいて、肩の力を抜いた生き方を覚えなければ、苦しみからは逃れられないと思うのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年07月27日 09時43分32秒
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