カテゴリ:うつくしいもの
こいまり、こいまりと口にすればあの独特なやきものの感じが想われてなんとも特別な情趣に誘われる。やきものはひとによって、立場によってさまざまに分類されてはいるが自分が古伊万里と呼ぶのはだいたい江戸時代までに九州は有田辺りの窯で焼かれたやきもののことなのである。その種類には無地の白磁があり、藍色の呉洲絵の具で描かれた染付があり、また多彩な上絵付けを施された赤絵がある。さらに金銀彩さえ加えた染錦とか金襴手というのもあるがこれはほぼ全てのものが自分の好みではないので知識も関心もないからここでは触れない。
伊万里の初現はおそらくは今から400年程前にいわゆる唐津焼の窯場に中国からの白くて艶やかなやきものを焼く技術者が来訪した時であろうと想うが、この時から数十年の間に産まれたものを特に初期伊万里と呼んでいる。初期伊万里はおおむね中国系の感じの強いものではあるが、土台となった唐津が朝鮮的なものであることからかどこか朝鮮の感じがあるような気がする。もしかしたら朝鮮の人がきて中国風のものの需要に応えようとした可能性もあるのかもしれない。 一般には唐津は陶器で伊万里は磁器であると分類されてはいるし、たしかに唐津と伊万里には明確な材料の違いがある訳だが、陶器と磁器というのは自分の理解ではまったく別々のふたつではなくてその境目は案外あいまいな連続した繋がりの内にあるものでありそれほど明快に分別を付けられるものでもないように考えている。 初期伊万里はやはりどこか初々しい感じがいかにも好ましいが、同時に後の時代の伊万里には感じられないどこかひどく冴えたところがあるような気がする。気がするなどと書かねばならないのは人気の初期伊万里はさすがに高価で、望んでも手元に置くことが出来ないでいるためであり、これはなにもやきものに限った話ではないが買えばわかるという最後の部分を、つまりは長く一緒に暮らさなければなかなか見えてこないという部分を残念なことに想像で書くよりないからだ。 ・・・・・ 何々焼と呼ばれるやきものは沢山ありますが、中でも古伊万里は生産された年月も長く、また仕事も盛んだったために多くの遺品が残っています。それに伊万里は丈夫なやきものであり、数百年を経た今なお日々の食卓に用いる愛好家も多いのです。また生産遺構も多く残り、さらには全国津々浦々に運ばれたやきものであったために消費遺構からも沢山出土しているため考古的な研究も進んでおり、かなり詳しいことが明らかにされているようです。 自分などは研究としての学的なものからは学ぶことばかりですが、鑑賞界でまことしやかに語られていることのなかには作り手としては大いに疑問に思うところなどもある訳です。そこで伊万里の好きなやきものの作り手としての立場で一度書いておきたいと思うのです。資料を調べて辻褄のあったしっかりしたものをまとめて書くことは出来ませんが、折りに触れ気が付いたことから伊万里の周辺を書き留めたいと想っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.11 01:18:38
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