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2006.10.19
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カテゴリ:うつくしいもの


 写真を撮って文章もだいたい書いたままでアップするのをひと月ほども忘れていたスコップの話です。

 あまりの鉄の風合いのよさと厚い鉄板を曲げただけの全く無駄の無いシンプルかつ骨太で武骨な造型がひと目で気に入って買ってみたスコップです。最初はこの鉄味から長年使い込まれた一昔前のスコップだと思っていたのです。
 すでに自分の子供の頃にはこういう小さなスコップは既にどこかの工場で大量生産されたようなものでした。持ち手の部分には滑り止めのためにプレスで抜いた小さな穴が沢山開けられており、また土に差し込む部分に補強のために浅く溝を付けた、赤や青や黄色の粗末な塗装を施したものでした。しかしこういう工夫にもかかわらず焼入もしてないような薄い鉄で作られたこのスコップは砂遊びをするくらいにしか役に立たず、少し固い土など掘ろうとするとすぐにへしゃげて駄目になってしまったものです。いかにも高度成長期のあの時代に生れた粗末な道具だという気がして悲しくなります。こんなものがいつごろまで作られていたか知りませんがおそらく今も探せば何処かの家の物置や軒先に錆びついたままで沢山残っている様な気がします。
 それなりの年月を経てお役御免になったようなこういうちょっとした道具類は確かに現在とは遠い時代を語る証人でもあり、確かにそれ相応の気配と魅力が無いとはいえませんが、近年増えた雑貨屋さん的な道具屋さんなどがこういうものまで並べているのを見るとなにか分別の無いことだなという気になるのは事実です。ここに一種の美があるとしてもそれはずいぶんお粗末で無責任な道具の姿であり、ちゃんとした道具の持つ健全な美ではありません。古いもの、味わいのあるものというのは確かに魅力的であり、同時におおいに危険です。味わいは美のひとつの要素には違いないのですが、味におぼれてはより本質的なものの骨格を見失いがちです。骨董の好きな人にこういうものの見方をする人が少なくないのですが、味で集めた蒐集はいやらしいものです。骨董というものはどうしてもいろんな意味で危うさを秘めたものではありますが、このような見方はどこかノスタルジーだけに浸った退廃的な行為でありあまり感心しないという気がするのです。

 話がそれてしまいましたが、ともかくこのスコップにはこういうものが工場で大量生産された時代よりももう少し古い時代の産物というような印象があるのです。ところがよく見れば刃先はきれいに面取ってあり、その角はしっかりたっていて使われた感じが無いのです。使い込まれたものならば必ずや先は丸まっているでしょうし、持ち手さえ少しは角が落ちていそうなものだと思うのです。
 自分はこのスコップをこの数ヶ月間机の上に置いて眺めて暮らしました。見れば見るほどうつくしいスコップだと感心するのですが、まるで使われていないような状態でこのようなものがあるということにどうしても合点がゆきません。これはいつ頃どういう人によっていったいどのようにして作られたか、さっぱりわからないのです。
 ところが長く一緒に暮らしているとものだってぽつぽつと語りかけてくる訳です。最初にわかったことはこのカーブが先から元まで同じ曲線であるということです。これがこのスコップをうつくしくしているひとつの要因でもある訳ですが、つまりは鉄パイプのようなものから切り出したと考えるのが自然です。使い古された鉄パイプから産まれてきたとすればこのような鉄肌でありながらかたちが出来てからは真新しいということも理解出来ます。古い時代に作られてそのまま使われないでしまわれていたという可能性も考えられなくは無いとは思いますが、自分はむしろ近年作られたものではないかという気がします。あるいはこの造型があまりに洗練され過ぎていることから考えると、誰か余程感覚の冴えた人が自分のようなもの好きを見込んでわざわざ古い鉄管を探してきてこれを切ってこしらえたのかとも思いたくなりますが、もしそうだとすればこういう仕事はそう安くは出来る訳は無く自分が買った値段があまりに安かったこととは辻褄が合いません。それにしっかりとした作りも刃先が研いであることも持ち手が痛くないように丸まっていることもやはり道具としての正格を備えているのです。感覚だけで気まぐれに作ったというよりは実用品としてきっちりとデザインされたものです。今の日本でこのような廃物利用はあたりまえのことではありませんから、どこか日本よりもものを大切に扱う文化が生きている外国の産まれでしょうか。
 このスコップのうつくしさは普通の意味での美術品や展覧会向けの工芸品などの場合とは違って、うつくしさなどとはまるで関係のないところから産まれてきたうつくしさの様に見えます。いつか詳しいことがわかるかも知れないしわからないかも知れないのですが、なんの情報もなくただうつくしいと見ただけのことからその因って起こる訳を考える機会を得たことはこれはこれでなかなかよいことだったと思っています。





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Last updated  2006.10.20 07:22:58
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