またもしばらくぶりになりましたが自作のやきものを紹介します。春に焚いた窯のもので、
ギャラリーアールの会場で写した写真です。春の窯はほとんど全てオランダのデルフト焼のような錫釉の白い器を入れました。暖かく柔らかい調子でミルクのように光を吸い込むような白を作りたいと願って数年間取り組んできたものがようやくおおよその目処が立ったのでたくさん取り組んでみたのです。ところがやってみると思ったよりも焼成条件がデリケートで薪の灰が掛かったものが好ましくなかったり、心持ち控えた温度が徒となって釉薬が溶け切らなかったりして思い掛けないくらいのロスがでてしまいました。もちろんこういうことはこの経験をふまえて次に生かせばよいのですから構わないのです。こういう風合いのものならばどのようなかたちが好ましいか、というような感じで先に色つやがあり、そのもとでかたちを探りながら仕事したのはあまり今までにない経験でした。
ちなみにこういうハンドルの付いた水注は伝統的にはあまり日本では見られなかったものですが、おそらくは1923年の濱田庄司さんのイギリスからの帰国後の仕事などが始まりではないでしょうか。しかし例外的に九州の小鹿田の窯にはどういう訳か1954年のBernard Leach来訪以前はもちろんのこと、濱田の影響など受ける以前の昔からあったそうです。こういうハンドルと注ぎ口のある器は日本では水差し、水注あるいはピッチャーと呼ばれることが多いように思いますが、アメリカではPitcher、そしてイギリスではJugと呼ぶほうが一般的であるように思います。