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2007.09.03
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カテゴリ:うつくしいもの


 平安時代の終わり頃にはじまった丹波の窯ですがやがて桃山から江戸初期に釉薬が使われるようになるとまもなく流し釉を装飾とした壺や甕がたくさん作られるようになりました。流し釉の始まりは昇温も難しい穴窯時代の何日にもわたる窯焚きの結果薪にした木の灰がやきものの表面で溶けて流れたものからヒントを得たなどとしばしば説明されますが、自分自身の考えではむしろ壺や甕を作るに際して水止めの意味で内側に施釉したときにそれが外側にこぼれたものをそのままにしたところから始まったのではないかという気がします。むろんこういう紋様の単純でいて無量の変化に富んだ面白さは釉薬を扱う陶工の側ももちろんですが、味噌でもなんでも甕から出し入れする時に少しこぼせばまさに流し釉紋様になるのですから日々壺や甕を使って暮らしていた時代には使い手の側にもよくよく馴染みのあるものだったことは言うまでもありません。
 このように流し釉も始まりの当初はただ口辺から無造作にこぼしたものでしたが、丹波では江戸の中期頃からは竹筒から行儀よく流したものが増えてきます。流し釉が他の窯ではどのように始まり発展したのかは詳しく知りませんがあちこちの窯で行われていたことは今に残った品物が語ります。おそらくはどこでも丹波と事情はそう遠くなく、自然発生的に、あるいは近隣の窯の影響を受けて全国的に流行したものと思われます。
 不思議なことに流し釉は特に日本で発展したということを柳宗悦もどこかで書いていましたが、たしかに我が国のやきもの史に大きな影響を与えたはずの朝鮮(ふたつに別れる前の)にも中国にもあまりみられないのです。しかしこのような装飾はいかにも製陶の中からの自然発生的なものであり、まるで無い訳ではないのですが進んでここに美を見出し装飾としたという点は美意識の問題でありここに日本の独自性があるのかもしれません。また広い意味では欧米のスリップウェアにしても一種の流し釉と言ってよいとは思います。
 
 さて写真の一点ですが丹波のこのような姿の流し釉の蓋付壺は材料やかたちを少しづつ変えながら幕末頃から昭和に入り戦前まではたくさん作られました。当時はおそらくは丹波はもちろん京大阪でもどの家にもあったのではないでしょうか。これはおそらくは大正頃の極く並物の味噌か塩でも入れるための蓋付の壺です。しかしそれだけに仕事の成熟度はたいしたものであらためて見直して見るととんでもなくうつくしいもののように思います。流し釉ばかりではなく、たっぷりした壺のかたちも粘土をきゅっと摘んでこしらえた蓋のつまみも泥釉の上りも申し分ないのです。手作りのやきものは今や作家の時代であり、ずいぶん変わってしまった丹波の窯ですが伝統的な仕事の最後を飾るのはこのあたりの品ではないでしょうか。
 時代も若く数もたくさん残っているこういうものはまだまだあまり評価されていませんが丹波の産んだ、もっともうつくしい品として今に大いに見直されることになると思います。十年程前に何処かで母が見付けて買ったものですが今は自家で塩壺として使っています。





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Last updated  2007.09.04 00:58:19
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