カテゴリ:うつくしいもの
イギリスの18-19世紀頃のスリップウェアです! それはすでに昔話のような大正時代の濱田庄司さんの回想にリーチさんと共にセント・アイヴスにいた時のこんな話があります。そこはニシン漁の盛んな港町であり、沢山捕れたニシンを干したり塩漬けにしたりして出荷したあとなお余った分を農民達が肥料として畑に肥料として鋤き混んだのだと。そしてそのニシンを狙って集まってくるカモメが上を飛び回っている畑は最近鋤き返した畑なのでそこに行ってみるとスリップウェアなどのやきものの破片が沢山顔をのぞかせているというのです。スリップウェアはこの地方でも日常に沢山使われて壊れたものを捨てたのだろうという話でしたが、現地に行かれたある方に話を聞けば今ではスリップウェアのかけらはまるで見つからないとのことでだから濱田の話もはたして本当だろうかと、さらにはスリップウェアのような手のかかるやきものがはたして本当に庶民の普段使いのものだったのだろうか、あるいはけっこう高級な一部の階級のものだったのではないかともおっしゃるのですがたしかにこの頃の濱田ややはり同時期にそこに居た松林つる之助(つるの文字は雨かんむりに鶴ですが機種依存文字のためここでは仮名にしました)さんの拾って持ち帰った陶片が駒場の日本民藝館や宇治の朝日焼の資料館に残されているのでかけらが当時沢山落ちていたのは間違いのないことだろうとぼくは思っています。スリップウェアを再現しようとすれば様々な困難や確かに面倒とも思える面があるのは事実ですが、しかし簡単に済ませば簡単に出来るというものでもあるというのも実作者としての自分の実感です。 丹波の師匠の元での弟子時代はさすがに800年も続いてきたやきものの村だけあって畑でも竹薮でもあらゆるところに陶器のかけらが散らばっていていろいろ拾っては飽かずに眺めていましたが、ここ生畑の畑にも沢山とは行きませんが時々この山里で使われたやきもののかけらが混ざっているのを見かけます。これに興味を持って何かあれば取って置いてもらうようにあるおじいさんにお願いしていたところ江戸もかなり早い時期の丹波焼などが出て来て驚いたことがあります。話をイギリスに戻しますが、だから濱田さんの話からはせいぜい200年ほど前のこういうものが出てもなんら不思議はないと思うのです。 そんな訳でいつかイギリスに行ってせめてかけらでも探して拾いたいものだ、あるいは誰かそういうものを拾い集めている人があるのではないかと思っていました。日本なら骨董屋さんなどを丹念に探せば唐津でも常滑でもあるいは縄文土器でも平安時代の瓦でもそういう人気のあるやきものの陶片を見付けることは特に難しいことではありません。しかしよほど古い考古資料は別としてこのような陶器のかけらを観賞目的で求める人は日本人以外にはあまり居ないようで外国では案外に売り物としては見当たらないのです。それでもいつかきっとと信じてはいたもののはたして実際にこれを見付けた時はさすがに「あっ!」と心ときめきました。 イギリスなど外国で何度か立派なスリップウェアの鉢や皿を見付けては問い合わせたりしてみたことはあるのですがやはり本国でも値段は高い上にそういう高価な壊れ物を不自由な言葉を頼りに個人輸入する不安もありなかなか結縁しないでいたのです。しかしこれは小さな欠片ですからまだ値も安く何としても手に入れなければならないと思い、取り寄せてみたのですが一週間ほどしてようやく届いた梱包を解いてみればやはり写真で見ていた以上に生々しくうつくしいもので歓びました。話しによるとそれはスリップウェアの代表的な産地とされているスタッフォードシャーとシュロップシャーの州境辺りにあった古い宿屋(tavernと書かれていたのであるいは酒場?)の跡から見付けられたとのことで丹念に拾い集めたのであろうスリップウェアやその他のやきものの沢山の細いかけらの中にこれが含まれていたのです。 残されたかたちから予想すれば比較的大きな角鉢の口辺部分のようですが、紋様自体は先年の展覧会の折りに出されたこの手のスリップウェアの決定版ともいうべき図録にも自分が知り得る限りのあらゆる資料にも類品がありそうなのに見当たらない珍しいものです。もしも全体が残っておればこれもまたなかなかの名品であったろうという気がするのです。いつか全体の姿を想像しながらこれを復元してみたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.18 00:01:00
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