カテゴリ:うつくしいもの
しばしば何事もそうですがブログも日々書いていれば何でもないことがしばらく書かないでいればいかにも面倒なことのように思われてついついそのまま日にちは過ぎてしまいます。今ごろになってあけましておめでとうと書くのもなんとも間抜けた感じがしてしまいますが、それでも一年の初めはただ一年の初めだとそう思うことによってのみ自分の中でだけはわりあいはっきりと区切りがついてはいるのです。 この冬の始まりは寒く、「初雪が舞いました」とある方にメールに記したのはすでに11月20日のことですが、その後はたいして冷え込むこともなく雪が積もることもなく1月も半となりました。さすがにここ数日は冷え込んで、今日は一日雪がちらつきようやく極く薄くですがあたりを白くしています。これほど雪の無いのも自分が生畑に来てからは初めてではないかという気がします。例年なら今ごろは夜は水道を元栓から閉めて、仕事場は土が凍らないように夜なべしてストーブを炊き、朝は雪掻きが必要な時期なのでそれからすると今年はまだまだ暖かいのですが、それでもそれはそれとしてやはり厳しい季節です。 この写真のものは初めて見た時はあるいは厨子ではないかとも思ったのですが、聞けば東北地方の行火だそうです。やきもの屋としては恥ずかしいことですが自分はこれを眺めたり触れたりしながらも長い間素焼きのやきものだと思い込んで手元に置いていたのです。何年もしてからこれを分けていただいた方に「あの素焼きの行火」と言って話が通じずその時初めて石であるということを知らされたわけです。知ってしまえばかなり分厚に作られているとはいうものの素焼きにしてはたしかに重すぎるのですが、思い込みというのはおかしなもので全くそう疑いも無く信じていたのです。このように用途も素材も掴みそこなってはいてもこの風合いと姿に魅かれたのは何かがあるのでしょう。もののうつくしさ、それは真実さと言ってもよいのですがこういう点では正確な知識というのはまるで関係が無いことです。 柔らかい石をくりぬいて作られた時間を込めてこつこつと仕上げた石の工芸にはその工程が生み出す独特の静けさと穏やかさがあるように思われ、この点では厨子などの信仰にまつわる造型と同じ性質があるとは思います。 この中に炭火を少しいれれば全体が穏やかに熱くなり、寒い季節に手足やお尻を暖めてくれそうな感じがします。かつて北国の暮らしにはこういうものが欠かせなかったはずで、ほんとうに欠くことの出来ない切実な存在というのは祈りの造型と本質的につながっているのだと思います。 しかしながらこういう地方的な生活工芸品もおそらく今ではほぼ使われなくなってしまったのではないかとは思うのです。本品も軒先か物置にでも放置されて湿気たものが彼の地の寒さで凍ててしまって写真でもわかるとおり剥落するように風化が進んでいるのです。それでもむしろ使い込まれてすべすべになった丸い姿の穏やかさと風化して崩れつつある荒々しい肌との対比にかえって凄い気配を感じさせられます。このような石の造型さえ長い年月を重ねてやがては自然に還って行く姿というのもいかにも日本的な心情に通じるものがあるのではないかと思って正月の初めにこの行火を選んでみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.14 00:53:35
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