カテゴリ:かんがえごと
家の側で薪小屋に借りているのは以前に畑だった土地で、ここに少しだけ何か植えてみようと思って耕した。何年も使われていなかったのですでに畝は無く、土は固まり雑草に覆われているので一仕事なのだがスコップと鍬で数メートルのほんの一畝だけ作った。ほんとうに畑をしているひとからすれば作ったといえるようなものでは決してない。
畑仕事に学ぶものは少なくないということは頭ではわかり切っていることのつもりでいたが、実際にやるには生畑では鹿や猪除けの柵やネット無しではどうにも成り立たない。実際に以前少し試した時にはヘチマとゴーヤだけは大丈夫だったが黒豆やカボチャやジャガイモはことごとく動物に食べられてしまった。他にも数日留守にすることもしばしばあるので手入れが出来ないとか、自分が食べる程のものはたかだかしれているのでわざわざ作る程ではないなどということを理由にして今まで手付かずでいたのだが、思い立ってとうとうやってみる気になったのだ。頭で考えればわかるということをあえて実際に身体でやってみるというのは案外よいことのような気がする。やってみてこそわかるということもあるかもしれないし、またやってみたとしてもわからないことだってそれ以上にあるはずである。わからないことをわかるために努めるのも立派なことだが、わからないことをそのままに受け入れることもまた消極的な態度だとばかりは言えないと思う。 これは誰だってそうだが短い限られた生命の時間を自分の嫌いなことに費やすことや、自分でも好きになれないような自分でいることはもったいないことのような気がする。自分好みの自分を作り、自分の好きなひととものとにたくさん出会いたい。無駄を何かに昇華出来る力量を持っているひとはまた別だろうが、普通の場合はつまらない物事にかかわりあっているひまなんか無い。食べるものを作り、身の回りのものを作り、消費よりは生産に努め、なるべく小さな経済を個人でも国でも回すようにしたい。少しでもたくさんお金をかき集めて贅沢したいというような考えはどうしても浅ましいもののように思えてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.17 01:55:02
[かんがえごと] カテゴリの最新記事
|
|