畑に動物よけの柵を作ったり肥料をまいたり少し拡張したり、そしてやきものもおもいがけず相次いでよいものが手に入っていろいろ調べ事をしたりしながら新しいかたちや釉のことなどにあれこれ思いをはせたりしながら過ごしています。これは仕事にとっての栄養のようなものでしっかり食べて少しでもよいものを作りたいものだと念じています。伝統に守られた産地や家で仕事を繋ぐ人はそれはそれですが、そうではないところで仕事をしている自分のようなものは意識的に貪欲に吸収し続けなければ仕事は途端に薄っぺらで根っこの浅いものになってしまうでしょう。ここにひとつのうつくしい品物があるとして、それを写して安直に再現しようとすることの中にもその追体験にはたくさんの学びと発見がありまた工夫も必要でしょう。中にはそのままの姿で作ったほうがよいというものも少なからずあり、これはこれで否定すべきものではないと思っています。しかしより肝心なのは長い時間をかけて身に付いた後に生の姿ではなくまた別のなにものかとなって出てくるというふうなものではないかと思います。例えばイギリスの古いスリップウェアのうつくしさにあまりに魅かれて作っている自分のスリップウェアはまだまだイギリスの古典が生で出すぎていると思っています。民族が違う、時代が違う、原料が違う、工程が違う、そして使用する側の暮らしもあるいは用途も違う。と、こういう事情の中で仕事する以上はほんとうは今だからこそというものが生れてきていいはずなんです。たとえスリップウェアのうつくしさは時代も民族も越えて普遍的であるとしても、その具体的な姿は何処かでまた違ったものになりえるのではないかとそういう気がするわけです。
京都の街中よりもよほど涼しいはずの生畑でもやはり日中は暑くて動くと大汗をかきます。アールグレイが好きなので、日に何度か氷をたくさん入れた大ぶりのカップに濃い目にいれたものを注いでアイスティーで楽しんでいます。
畑の野菜は確実に日々生長しています。螢は少なくなったとはいえまだまだ飛んでいます。今年の梅雨は早くもすんでしまったのかという気がするほどしばらく雨が降りません。空梅雨を今までは喜んでいましたが、勝手なもので畑を少しでもしているとやはりこの時期には雨が降ったほうがいいのではないかという気がします。
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Last updated
2008.07.04 01:45:06
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