神々のあけぼの(1)~女がプロポーズしてもいいんじゃない?
古墳時代に入るといよいよ国づくりが本格的にすすむので、その前に、この世界をこしらえて彩りを与えてくれた古い神々の物語を紹介したいと思います。使用するテキストは、日本の二大歴史書『古事記』&『日本書紀』です。さて初回の主役は、日本列島を生んでくれた男神イザナキ・女神イザナミの美しいカップル。今日はこのお二人の結婚までみていきますが、まずは天地創造の様子からはじめていきましょう。原初、天と地はごっちゃになっていたような状態だったらしく、この両者が分かたれるところから物語は始まります。まずカンペキな天界には三柱の神が誕生しました。アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)・タカミムスヒノカミ(高御産巣日神)・カムムスヒノカミ(神産巣日神)です。みんな単独神で性別がなく、姿も見せないのでどのような神様なのかはまったくのナゾ。分かるのは、とてつもなくエライんだろうな~ということくらい(←当たり前)。そういえば、最初に生まれてきた神(または神々)って他の神話でも影がミョーに薄かったりしませんか?属性がないし、お姿もはっきりしていないし、何よりも特徴がなさすぎる。仕方ないとはいえ、ちょっぴりさみしい運命ですね。天に比べ、未だ固まらぬ地は「水に浮かぶ脂」のようで「海月のように」ふわふわとただよっていました。そこから「葦の芽が萌えあがる」ようにひとりの神様が登場します。名をウマシアシカビヒコジノカミ(宇摩志阿斯訶備比古遅神)といいます。混沌の地がいよいよめざめ、産声をあげたのでした。天界、地界、それぞれがとこしえに栄えあれ、と願う心から生まれたのは二柱の神~アメノトコタチノカミ(天之常立神)・クニノトコタチノカミ(国之常立神)、そして最後に天と地のあいだに、豊かな雲が湧き上がり、これをトヨクモノノカミ(豊雲野神)と呼びました。以上の方々もひとりぼっちの神さまで、やはり皆さんとっても恥ずかしがりや(?)なのでした。ここまでの神々はまさしく超現実的な存在で、次代からはいよいよ神々も男女に分かれ、泥・砂・男根・女陰という具合に、神々の属性も私たちにとって身近なものへと変わっていきます。そしてラストを飾るのが、日本のアダムとイヴ、伊耶那岐神(イザナキノカミ)・伊耶那美神(イザナミノカミ)の誕生でありました。さて、ふたりはまず混沌とした大地から、一つの島を作ります。「天の浮き橋に上に立ち……玉飾りのついた天の沼矛をどろどろした大地にさし入れ……コオロコオロとかきまぜて……矛の先からしたたりおちた海水が凝り固まって」オノゴロ島ができました。ここのくだりは本当に美しいですね。この島に降りたって、ふたりは本格的に国生みに着手することになります。手始めに男神のイザナキが、女神であるイザナミにプロポーズをするのですが、これはあまりにストレートすぎて、今使うにはとてつもない困難が予想されます。というよりほとんどの女性から嫌われること間違いなし(苦笑)。古事記から引用すると。イザナキ「君の体はどうなってる?」イザナミ「足りない部分がひとつあるわ」イザナキ「おれは余ってるところがひとつある。この余った部分を君の体の足りないところに刺し入れふさいで、国を生もうと思うんだが、どうだろう」開けっぴろげもここまでくるとスゴイの一言。コメントも難しいなあ。さて、イザナミもOKを出し、結婚式とあいなります。それはまさに「究極のジミ婚」。天の御柱という大きな柱を男神は左回り、女神は右回りに分かれて回り、出会ったところで結婚完了となるわけです。ところが思わぬハプニングがおきました。先に女神の方が声をかけてしまったのです。イザナミ「まあ、なんて美しい男なの」イザナキ「なんて美しい娘だろう……て何でオマエが先に言うか?」結局、最初の結婚は失敗し、あらためて御柱を回って男が先に声をかけると、今度はうまくいきました。二人はうまし国を次々に生み、続いて山川草木等々の神々を生んで、国土を豊かに飾りつけていくのです。「女が先だと失敗して、男が優先されると成功するなんてやっぱり失礼しちゃうよねー」と、女性の方々には呆れられるかもしれませんが、日本書紀には本筋の他に異伝が加えられていまして、その中には驚くべきことにまったく反対のパターン、つまり逆ナンが成功した例があるのです。一書はいう、女神が先に声をかけて、「美しいわ、ほれぼれする男ね」というやいなや、男神の手をとり(カッコイイ!)、ついに夫婦となって……そのままハッピーエンドになだれこむワケです。もちろんなんの問題もありません。この方が断然おもしろいような気がするんですが、いかがでしょう?さっそうとした美貌の女王様と、すべて彼女の意のままになるキレイな年下の男、みたいな感じで、ちょっとイケナイ方向へ想像力がくすぐられますよね(笑)。個人的な感想はさておくとして、ちょっと真面目な話をしてみますと、前述した男尊女卑的な結婚式よりも、おそらくこの「女王様」タイプの方が時代的には古く、また原型とそれほど違わないのでないか、と思われます。なぜなら男性優位の考え方は決して昔からのものではなく、むしろ日本文化の基層には母系(女系)社会の原理がたくましく息づいているように考えられるからです。『古事記』はともかく、『日本書紀』は中国の思想の影響を受けてかなり男性寄りなのですが、こうした異伝を比較研究してみるのも面白そうですね。ちなみに、逆転はどこらへんで起こったのでしょうか。縄文時代は母系社会で、稲作農耕が本格化した弥生時代から徐々に男性社会に転じていくという通説もあるんですが、個人的にはどうも不明瞭な部分が多いので、これはまた機会があるときに検証してみたいと思います。まずは母系社会の方から勉強しなくっちゃ。では次回は、イザナキ・イザナミのラブラブ新婚生活からです。愛は永遠に続くのか、それとも…?