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カテゴリ:世情
夕方の高田馬場のスーパーの火災では、全国ニュースで流れたようで、
京都の友人からも「だいじょうぶ」のご心配をいただきました。 http://www.asahi.com/national/update/0427/TKY200704270359.html 高田馬場1丁目というのは、事務所のある西早稲田の隣で、 現場は直線で歩くと500メートルくらいなところ(^^;) 4時過ぎ、あまりにもヘリコプターの音が大きいので、何事かと、 要人の事故か?、テロか?って感じで外に出ると ヘリコプターの数は並ではなく、10機くらいが大きな円を描いて飛んでいる(^^;) (なんだか映画で見た戦争シーンみたいで(^^;)) 消防車がどんどんいく明治通りと早稲田通りの交差点に行くと、 すでに明治通りは封鎖され、南の方面は真っ黒な煙で見えない。 煙のイヤナ臭いも充満、、、 これは地下鉄工事現場の事故か?などと想像しましたが、 全貌はしばらくたってからのテレビのローカルニュースでわかりました。 亡くなられた方はいらっしやらなくてなによりでしたが、 ビル火災は怖いですね。煙に巻かれたらとおもうと、ぞっとします。 ◇◆◇ 今日は、じつに久しぶりの、ブログです。 書きたかったのは、写真(PC9801RXとモデム、HDD100メガ)のこと。 1990年4月に開設した、パソコン通信「みんなのねがいネット」は、 参加者は最大時1500名に達しました。 「情報アクセス、コミュニケーションは人権」と 実践的にアピールしながら、楽しく、価値あるネットをめざしました。 94年に『障害者のパソコン・ワープロ通信入門』(全障研出版部)を刊行。 日本障害者協議会(JD)の推進する「パソコンボランティア」(1997年~) にも中心的な役割をはたしました。 なによりも、新鮮な出会いがとても楽しかった(^_-) 世はインターネットの時代となり、利用者は少数となりましたが、 とりわけ数名の視覚障害者から、メールの使い勝手がよいので、 なんとか維持して欲しいとの要望を受け、 ハードが壊れるまでは維持しようと、こころに決めて継続してきました。 そして、とうとう、そのときがきて(ハードよくもったなあ)、 2007年3月31日、17年間の役割を終えて電源を停止しました。 先日、電話回線も3回線、解約しました。 一つの時代に区切りをつけたような、なんとも微妙な感慨にふけりましたね。 そんなとき、Peopleというパソコン通信・「福祉工作クラブ」の運営者仲間の一人が、 海外留学するので、その壮行会を兼ねて、 久しぶりに温泉で合宿しようとの嬉しいメールが届きました。 おもえば、この「福祉工作クラブ」の1コーナー=「ぱそボラ」ネットワークが 「パソボラ(パソコンボランティ)」のさきがけでしたね、、、(しみじみ) 15年ほど前の話だけど、昨日のことのように感じるな。 当時自分が若かったということとを差し引いても インターネットよりもパソコン通信の出会いや交流のほうが濃密だったかなあ。 再会は七夕の日。 昔話に花が咲くのも、いいもんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月28日 02時08分53秒
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