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カテゴリ:映画・TV
16日の日曜日は家で過ごした。
何気なくつけたNHKハイビジョンは、 「五木寛之と過ごすハイビジョンの一日」で 「世紀を刻んだ歌」といういくつかのドキュメンタリーを再放送してた。 すごい迫力で、画面から身動きできなくなった。 ◇「花はどこへ行った」 ピート・シーガーが作った反戦歌。 サラエボでは東独代表だったカタリーナ・ビットは、 リレハンメルでは、統一ドイツの代表として、この歌にのって氷上で舞った。 Where have all the flowers gone ? Long time passing. 初めて外国語で歌ったのは、女優マレーネ・ディートリッヒ。 ナチスに反発し、ドイツを捨てアメリカへ移った。 五木寛之はコペンハーゲンで彼女の歌を聞いたという。 デンマークはナチスに占領されたことがある。 その町で歌うドイツ語の「花は~」 歌い終わったとき、場内は静まりかえった。 そして、子どもを抱いた一人の兵士の拍手から、 場内一杯に広がった拍手は鳴りやまなかったという。 ◇「ヘイ ジュード」 ポール・マッカトニーがジョン・レノンの(わかれた妻との)息子ジュリアンの ために書いた詞がチェコで民主化運動のシンボルになっていた。 「プラハの春」のチェコ。 マルタ・グビショバはキュートでセクシーなアイドル歌手。 1968年8月20日、ソ連は突然、プラハに60万人の軍と戦車を送り込み 「プラハの春」を制圧した。 最後まで市民に自由と対話を訴えつづけた放送局にいたマルタは、 軍による殺戮の現場にいた。 マルタがカバーした「ヘイ・ジュード」は、弾圧を受けながらも、 チェコの自由と民主化のシンボルとして密かに歌い継がれた。 1989年ベルリンの壁崩壊と東欧の自由化の波。 そこにはマルタの「ヘイ・ジュード」が歌われていた。 ○「人生よありがとう」 ビオレータ・パラの歌は、チリやラテン・アメリカの軍事独裁政権の下で生き、 闘ってきた多くの人々を励まし、力を与えてきた。 1973年アジェンデ政権を倒したチリの軍事クーデター。 チリ最南端、マゼラン海峡に浮かぶドーソン島は強制収容所の島。 クーデター後、400人が収容され、強制労働、暴行、拷問された。 絶望に陥りそうな毎日の中で、自らを励ますためパラの歌は歌い継がれた。 --- ベトナムもサラエボも「プラハの春」も サンチャゴの歴史もけっして知らないわけではない。 でも、自分が生きている時代の人間の歴史をあまりに知らなすぎる。 正直そう思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月18日 00時59分10秒
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