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カテゴリ:世情
東京が今年2度目の雪の日、京都に日帰りしました。
新幹線は30分遅れだったけど、 朝の6時に最寄りの駅にたどりつくまでが ちょっとスリリングでした(^^;) 「朝早くは大文字山まで雪でしたなあ」 とタクシーの運転手の言う京都はすでに小雨模様。 でも、京都支部40周年記念のつどい (「全障研と私たちの活動 過去・現在・未来」) は熱気でした。 ○自立支援法後、ケース検討をみんなでする場がなくなった。 ”みんなで”子どもたちを見ていく場を ちゃんとつくらないといけない。 実践は、子育ては、一人ではできない。 一人一人の願い、おもいを みんなでもちよることが大切ではないか (若い発達相談員) ○月刊誌の「みんなのねがい」。わずか月550円が 若い職員にすすめるのに気が引ける・・・。 それくらい職員は低賃金。でも7人で読者会開く。 読んでると仲間の顔が浮かぶ。実践のヒントが得られる。 制度に仲間をあてはめるのではなく、 一人一人の願いをみつめることから始めよう! (中堅の職員) ○与謝の海養護学校ができる前。親の会で、教師は意見を聞き、 いっしょに泣いた。話し合うことがとても大事だ。 いろんなことがわかってくる。与謝の海では、 校長から用務員まですべての人が職員会議にでて話し合っていた。 (85歳の元教員) そして元校長(80歳)の話。 ○1955年6月4日京都でヘレン・ケラーの話を聞いた。 「障害は不便ですが、不幸ではありません」 「私が不幸であるならば、 それは私をとりまく社会が不幸にしているのです」 その校長先生からゆずられた黄ばんだ一冊の冊子。 「地方自治と障害者のくらし」(全障研京都支部) 巻頭に、1971年のメーデーに共産、社会とスクラムを組む 蜷川府知事と市長がいる。 道はただ一つ この道をゆく 春 蜷川虎三 次のページは「憲法第25条」。 3頁から「京都の良さと障害者のいきがい」 <憲法を土台にして> そして、 「自治体は、住民自身が住民自身の力で、 自分たちのくらしを守る組織」とあった。 40年の時空をこえて、まさに今日的な課題だ。 70年代の統一戦線は、 何を展望し、何をなし、何をなしえなかったのか、 映画や小説などでは70年代論がはじまっているけど、 いま多面的な総括が必要だね。きっと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月05日 08時55分09秒
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