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カテゴリ:映画・TV
昨日、ベルリン映画祭で高い評価を得たという「母べえ」。
ようやく、今晩の最終上映を家族でみることができました。 予想以上にすばらしい映画。感涙。 涙があふれて、しばらく立ち上がれなかった。 映画が終わった後に、いっしょにみていた 20人くらいの人たちに 「よかったよね」と声をかけようかとおもったくらい。 とりわけラストシーンが秀悦。 ソプラノの佐藤しのぶのボカリーズに 父べえの手紙朗読がみごとに重なる。 父べえ役の三津五郎さんが言っている 「一番失って大きいものは、ありふれた日常なんです。 なくしてみて初めて気がつく。 日常をくり返すことの幸せ、 そして、これをまた失うことがどれだけ悲しいか」 1940年、昭和15年、東京・高円寺界隈。 父べえ(坂東三津五郎)、母べえ(吉永小百合)、 初べえ、照べえと呼び合う4人家族。 父がある朝突然、治安維持法で投獄される。 父が残した往復書簡から、家族の思いや生活のようすが 具体的に綴られていた野上照代さん(黒澤監督のスクリプター) の原作は、 「ああ、こんな映画が撮りたかった」と山田監督に言わせたという。 そして、原作は、歴史に残る映画となった。 フィクションの映画のはずが、 映画のなかの時代と今の自分の現代とが一体化してしまうような、 映画の中の空気と同じ空気を今吸っているような、 実に不思議な、たまらない「場」をつくりだしてくれている。 だから、その時代の日本人がみごとにマインドコントロール されているのもわかるし、 「御国のため」「贅沢は敵だ」「非国民!」 と思想統制される怖さと じつは今の時代も、そうした意識構造は変わっていない日本人の 恐ろしさを感じることになる。 小百合さんは、この映画のために、 100作以上の映画に出てたんだねきっと。 かもしだされる温もりは、なんとも切なく、 けなげで、美しく、たくましい。 檀れいでなく、小百合さんに思慕する 浅野忠信の「山ちゃん」もいい。 赤紙には本籍地が「鶴岡市」と読めた。 鶴岡は庄内藩、「武士の一分」など時代劇3部作ともつながっている。 でも最高の役者は子役の二人だね。それを演出した山田洋次監督だな。 「歴史に学ばない人は再び同じ歴史を繰り返す。 その言葉をいつも胸に刻みながらこの映画を作った」 (ベルリン映画祭にて山田洋次) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月16日 01時34分24秒
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