親は突然倒れます(7・終)
年末に倒れてから4カ月、じいちゃんの容態も、いよいよ悪くなってきました。【2017年4月2日(日)】年度初めには、仕事が立て込んでいて土日のどちらかが出勤になるので、じいちゃんのお見舞いに行けません。その代わり、ばあちゃんに電話でじいちゃんの様子を確認しました。ばあちゃんからの聞き取りです。3月28日(火)に面会に病院に行った。じいちゃん、その前から発熱を繰り返して体力が落ちて元気なし。目も開けられない状態。3月31日(金)にも面会に行ったが、じいちゃん全く目も開けられず、また意識障害大。それでも車いすに移乗しリハビリ室に行くが訓練らしい訓練はできなかった、と。 じいちゃんの容態は、だいぶ悪いようです。 【4月7日(金)】ばあちゃんから、おいらの携帯に電話です。病院から呼び出しがあったので、来れないか、と。午後からポカ休みをもらいました。主治医は、4月に異動になっていました。医局人事なのでしょうね。午後6時に主治医からの説明です。じいちゃんは、誤嚥性肺炎を繰り返しており、敗血症も発症。検査結果から、腎不全の状態になっている。血圧も下がっているし、尿(バルーンでビニール袋に排尿していて量が確認できます。)が出なくなっているので透析も難しい。かなり重い症状なので、急変もありうる、と。 ばあちゃんからは、3月に前の主治医に話したように、じいちゃんが苦しむような延命措置はしなくてもいい、と話しました。 主治医からの説明後、じいちゃんと面会。じいちゃん、意識もなく息遣いが荒いです。酸素を鼻のチューブから吸入。容態が前と比べてかなり悪くなっていることがわかりました。この日は、伊東の実家に泊まりました。 【4月8日(土)】午前中にばあちゃんを連れて、じいちゃんの見舞い。じいちゃん、昨日よりは体調よさそうで、少し目を開けました。 午後からは、灯油や日用品の買い出し。ばあちゃん、生協の配達があるから、大丈夫、というものの、足りないものは色々あります。この日も実家泊。 【4月9日(日)】この日は、容体悪化の報を受けて、長女が新幹線でお見舞いに来てくれました。東京で暮らす姪っ子も駆けつけました。じいちゃん、娘たちに囲まれて嬉しそうで、呼びかけに目を開けました。ただ、尿が出なくなっている影響でしょうか、手足のむくみがひどいです。午後から、長女と一緒に、多治見に戻りました。 【4月12日(水)】この日は、じいちゃんの容態が悪いことを心配して、奥さんが一人で新幹線に乗ってお見舞いに出かけました。すると奥さんから電話です。主治医から、今日、明日がじいちゃんはヤマ、ばあちゃんはいつでも駆けつけられるようにA病院近くに宿を取ってほしい、と言われた、と。奥さん、かなり動揺しています。あとで判ったのですが、主治医さん、ばあちゃんが遠くに住んでいると思ったので、近くに宿泊してください、と言ったとのこと。夜、伊東の実家に向かいました。 【4月13日(木)】午後2時から、主治医から病状の説明を受けました。じいちゃんの容態は、肺に水がたまり、肺炎状態であるが、今日は少し落ち着いている。ただ、肺炎には薬がだんだん効かなくなっている、腎不全など炎症反応が出ている、容態が急に悪化することもある、という説明でした。 じいちゃんを見舞いました。意識もなく眠ったままです。看護師さんの話では、昨夜は酸素吸入量が2.0だった(2.0ってどういう単位なんでしょう)が、今は落ち着いて1.0にしている、と。 ところで、じいちゃんの病室は、これまで4人部屋でした。それも、いつも窓際の日の当たるところです。というのも、じいちゃんの後から入ってくる患者さん、じいちゃんの回復具合を飛び越えて、どんどん良くなって退院しちゃうからです。じいちゃんと同じように脳梗塞で開頭手術した人でも、片麻痺は残りそうでしたが、動かせる部分でどんどんリハビリ訓練をして回復していき、退院を迎えています。その間、じいちゃんはずっと寝たきりです。他の患者さんの様子と比べても、また、入院後100日たち急性期を過ぎてしまったこともあるので、じいちゃんの回復は、もう無理なのかな、とばあちゃんも感じたようです。 で、その4人部屋から、差額のかかる2人部屋への移動を打診されました。差額ベッド代のかかる部屋を埋めたいのでしょうか、病院には病院の事情もあると思います。じいちゃんがいつ逝ってもおかしくない状況であれば、2人部屋の方が、いろいろと落ち着いて面会できますから、と承諾しました。1日4,320円の差額ベッド代がかかるようになりました。 ばあちゃんを実家に連れて帰りました。ばあちゃん、もう覚悟を決めたようです。途中で、葬儀屋さんに寄ってほしい、と。葬儀屋さんに寄って、万一の時には、じいちゃんの遺体の搬送をお願いしました。実家に戻り、ゴミ出しをしてから、多治見に戻りました。 【4月22日(土)】次男と一緒に多治見を出て、午後5時にA病院着。4月に就職したばかりの長男も東京から駆けつけてくれました。長男は、4月に入ってじいちゃんの容態が悪くなったと聞き、4月中頃に一人でお見舞いに来てくれたようです。その時にもじいちゃんは意識はなかったのですが、長男がじいちゃんに声掛けをすると、フーフーっと呼吸を荒くして何かを伝えたかったようだった、と。 長男、次男とおいらで、じいちゃんを見舞いました。意識がありません。手足のむくみ、前よりもひどくなっています。尿袋には、血が混じった尿が少量。排尿も困難な状態です。抗生剤を投与しています、と看護師さん。かなり状態は悪いようです。 【4月23日(日)】午前中に、長男・次男とばあちゃんでじいちゃんのお見舞い。昨日と変わらず、意識なし。抗生剤の投与はなくなった、とのこと。東京で暮らす長男を新幹線駅に送って、次男と多治見に戻りました。これが、生前のじいちゃんとの最後の面会になりました。【4月30日(日)】この日は、おいらは風邪気味で1日臥せっておりました。午後9時ごろ、ばあちゃんに電話。ばあちゃん、今日の午後にじいちゃんのお見舞いに行ってきた、じいちゃん目を開けた、容態は安定しているようだ、と。もう少し、じいちゃん、頑張ってくれると思おうよ、などとばあちゃんと話しました。 寝オチしていた午後11時45分、A病院から電話がありました。じいちゃん、心停止状態になった、今処置をしていますが、すぐに来てください。【5月1日(月)】日が変わった午前0時45分、奥さんと次男とおいらで多治見を出発しました。午前3時40分、A病院着。じいちゃんは亡くなっていて、霊安室に移されていました。※病院の待合室の時計です。なぜか、写メしていました。看護師さんからの説明です。昨夜、午後10時頃に吸痰をした時には、異常なし。ところが、午後11時ごろから急に心拍が弱くなり、そのまま停止した、と。こちらも無理な延命は望んでいないことを伝えてありましたので、じいちゃん、苦しまずに逝ったと思います。 死亡診断書では、じいちゃんの直接の死因は誤嚥性肺炎、その死因を引き起こした原因が脳梗塞、でした。死亡時刻は、5月1日午前0時5分。そういえば、5月1日は、じいちゃんの誕生日です。じいちゃん、誕生日までは頑張ろう、と思っていたのかも知れません。この5分間の生存で、じいちゃんも5月分の年金をもらえましたから、影響は大きかったのかも知れません。葬儀社に電話しました。明け方にもかかわらず、24時間対応してくれるのですね。霊安室からじいちゃんの遺体の搬出と実家までの搬送をお願いしました。霊安室、寒かったです。(じいちゃんの葬儀後、おいらは体調を崩し、ずっと寝込んでしまいました。)4月分の病院経費です。医療費の自己負担額は、高額療養費の適用で44,400円、食事療養費負担が、なぜか3,960円です。4月はリハビリも困難でしたので、何か軽減措置があるのでしょうか。ただ、差額ベッド代が77,760円もかかったので、病院への支払いは合計126,120円。アメニティがBタイプだったものがAタイプ(1日2,057円(税込み))となって6万円になり、合計19万円弱の負担に跳ね上がりました。差額ベッド代、じいちゃんの場合、1か月だけでしたが、これが長期にわたると、かなり負担がしんどいです。 そして、たった5分間だけ生存した5月分、差額のベッド代4,320円が請求されていました。また、霊安室の使用料や装束代などが35,100円(保険適用外で全額自己負担)、さらに死亡診断書の文書料が10,800円(文書料としては高いと思われます‥。)などなどで53,000円の請求がありました。 ということで、2016年12月30日に倒れてから、翌年5月1日に逝くまでの123日間のじいちゃんの闘病記でした。この123日間、ばあちゃんもおいらも、奥さんも子どもたちも、妹も姪っ子も、じいちゃんにはできるだけのことをしてあげることができました。だから、じいちゃんが亡くなった時にも、悲しいという感情よりも、じいちゃん、ありがとう、という感情の方が多かったと思います。事故などの突然の看取りとは違い、じいちゃんが徐々に命が削られていくことを、123日で体験できた、そんな経験だと思います。 さて、伊東で一人暮らしのばあちゃん、いつまでも元気でいてください。明日から、また日常のブログに戻ります。ゴールデンウィークにふさわしいとは思われないシリーズで、失礼しました。親は突然倒れます(1)親は突然倒れます(2)親は突然倒れます(3)親は突然倒れます(4)親は突然倒れます(5)親は突然倒れます(6)