|
カテゴリ:Mayuと友達
こないだ大雪の星見イベントに一緒した友達のことを。
彼女との思い出をあまり書きすぎると、私の“ボロ”が出るので(笑)、抑え気味に・・・ 彼女(敦子)とは中1のはじめ、練成会から新しく変えたばかりの塾で知り合いました。丹治進学教室という、私塾です。今は丹治予備校、と名前を変えたようです。 札幌市内、市外近郊の色々な中学校から生徒が集まり、制服・学ジャー通塾が義務付けられていました。 おかげで他校の友達が急激に増え、高校進学後にも、学年に55人、塾仲間がいる・・・という状況。 自分の中学からは私を含め4人だけだったので、かなり助かりました。 敦子との最初の出逢いは、入ってすぐ、お互い友達もいなかった時期、私が早めに行っていたところに彼女が入って来て、隣の席に座り、何気なく会話したことから始まりました。 最初はあまり会話も弾まず、敦子はきっと私が苦手だったでしょう。(とにかく“つっけんどん”してた私・・・) それでも次第に慣れて行き、その後クラス分けテストで離れてからも、仲良くしていました。 テスト対策週間では、学校ごとに休日に召集されて、テスト範囲がかぶっている中学校ごとに授業を受けるのですが、それで彼女の学校と一緒!という時は、とても楽しみだったのを覚えています。 地獄の9時間授業も、コソコソ話をしながら過ごすと楽しいものでした。 ところが受験も押し迫った頃、彼女は自分の進路を変える、と言い出しました。 ピアノや声楽をやっていた彼女は、中学卒業後の進路も、音楽関係の学校を受験する、と決めたのでした。 もちろん、そちらの実技のほうが重要だったので、彼女は塾を辞めてレッスンに専念する・・・と言ったのです。 かなりショックでした。今までずっと頑張ってきたのに、それを捨てて夢に向かうという決断が、当時の私にはもったいないと感じました。それに、進路が全然違う領域に行ってしまったら、疎遠になってしまうのかと思ったのもありました。 でも、その決断力には、とても驚かされたし、はっきりと自分のしたいことが見つかっていることがうらやましくもありました。 私は当時、医療系に進みたいと漠然と思っていましたが、彼女のように何か用意するわけでもなく、ただ“思っていた”だけでした。 そしてその頃、成績も落ち着いて、どうやら志望校も大丈夫そうだ、なんていう説明を受けて、受験を目前にして若干燃え尽きていたのも事実でした。そんな時に、かたや自分の夢に立ち向かう姿は、素晴らしく感じました。 彼女は音楽関係の進路に進み、約束どおり、進学後も何度か連絡を取り合いました。 それでも年に1回会うか、会わないかというくらいで、年賀状のやりとり+手紙を年に1回くらい出し合う程度。 でも、そうしてても忘れた頃にどちらかが連絡を取り、たまに会っては昔を思い出してみたり、お互いの彼氏のことを話したり、とても1年ぶりに会うとは思えない!という感じでした。 ここ1年くらいは、何度か会っていて、また再燃してきたかな!?という感じです。 私が病気になったことを彼女に連絡したのは、手術後入院した医大病院からの手紙で報告したのが最初でした。 それを受け取って読み終わるや否や、「ちょっとあんた!びっくりしたよ!なんでもっと早くに言わないの!!明日行くから!!」とメールが入り、本当に次の日やって来たのです(笑) 彼女が来たとき、ちょうど詰め所の前のデイルーム(面会用にテーブルや本棚、ポットなどあるところ)にいてバレーを見ていた私を見つけて「ちょっと!あんたちゃんと食べてんの!?痩せすぎだよ!!!」と怒られました^^; でも、話をすると変わりない私に「あんた、病気になっても全然変わらないねぇ・・・」と苦言を(笑) わざわざ授業を抜けて来てくれたらしく、ありがたいですね。 こういう友達とは、この後もずっとこんな感じで続いて行くんだろうな~。 たまにしか会わないんだけど、会うと嫌なことを忘れて楽しい話に集中できるのっていいんですよね~。ストレス解消にもなります。 彼女は今、音楽の教員になるため頑張っています。 本人からどんな感想が来るかな・・・(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月10日 00時24分02秒
|
|