本人、帰ってこないけどね。ほっとく。
思えば25年前ですね…あの日から私の苦難は始まった。(怒られそう)。
結婚2年目でした。
それまで、親戚に会えば「まだなの?」と悪気なく追及され、その度に微妙な顔でこちらを伺う親たちの目に、なんかモヤモヤしてました。
当時住んでたマンションは、2、3歳の子達全盛期。
「早く産みなよ、一緒に遊ばせよう!」
…いや、今思えば、あれは暴力だったな。
そして、子供さえ産めばいいのか、じゃあ夫と私のいいとこ取りのような超可愛い女の子を1人だけ産んで、お世話は「産んでくれさえすれば、あとは全部こっちでやるから!」(これもひどい言い草ですな、双方の母たち)にお任せして、仕事に戻って…。。。
休日には、乳母車で夫とお買い物とお散歩行くの。
公園とか寄って、木陰で幸せ家族するの。
あ、生まれたら、ベイビーキルトとか記念に作っちゃおうかな、それとプレイマット用キルトも…
はい、全てが都合のいい幻想でした。
両親の割といいとこ取りで生まれたのは…花のような女の子ではなく、玉のような男の子。
昼間はぐっすり、夜は徹夜で泣きまくり。
夫は「子供は泣くのが仕事、ボクは気にならない」となぜかドヤ顔だけど、あんた、元から騒音の中でも秒で熟睡できる体質じゃん。ホントに気にならないっていうか、気付かないんじゃん。(八王子弁、炸裂)。
ジジババは「可愛いわ😍〜」だけで、ほぼ使い物にならん。(というか、私が子供に触られたくない。)。。
休日に優雅に微笑んで、乳母車でお買い物?お散歩?
いや、必要に駆られてお出かけはするけど、もう時間との勝負で、髪振り乱して駆け巡るだけですわ。
無駄にアクティブで体力お化けだった息子、歩くようになってからはもっと大変。
しかも私、1年半後にまたまた出産、夫の海外赴任で、2歳になったばかりの息子と生まれて2ヶ月の娘を抱えてロンドン行き。
‥猫の手でも良いから、誰か助けてくれ〜の怒涛のワンオペの中、またまた第三子妊娠出産。
若かったから、出来たのねー。
私の30代から40代前半は、全て妊娠出産育児に使いました。(その後半に被って10年は、親の介護。王道。)。
受けられなかった仕事、掴めなかったチャンスも一杯あったのだろうけど、まあ、そんなことはどうでも良い。今こうして子供たちが大人になった、それでいいわ。
いや、あの時こうしてればもっと、的な後悔がなくはないのですが、その辺りは本人たちが自力でなんとか修正してくれました。まじ感謝、リスペクト。
ついでに、と言ってはなんだけど、幼児たちを預かって守ってくれたジジババ双方に大感謝、粉骨砕身の激務に耐えて、不自由しない生活をさせてくれた夫にも大感謝。決して私1人で育てたなんて思ってないのよ。
ベンチャー息子、あなたはもう私の手を離れました。これからも茨の道を歩いて行ってください。いざとなったらテニスコーチで食える。大丈夫だ。
お受験娘、きっとあなたは病んでるわ〜とぼやきつつ目標達成して、その後に待つ過酷で輝かしい世界に踏み出すのでしょうね。なんとかなる。大丈夫だ。
留学娘、お気楽で行動力のかたまりのキミ、なんか大物になりそうな気がする。出来ること全部に挑戦しなさい。帰る場所はここにあります。大丈夫だ。
みんながまだママの手を必要としている間は、動ける体と判断できる頭を維持したい。
私も、もうちょっと頑張ろう。
私もいるよ〜とみこたんの声が。
そーだねー、眠そうなお顔がまた可愛いわ〜。
こんな嬉しさも、日常にはある。感謝。