NHKEテレビの現代文10Minボックスで高村光太郎の「道程」が紹介されていましたので、1957年高校1年生の現代文教科書に掲載されていて、多少感化されていたのを思い出しました。
高村光太郎は明治時代の著名な彫刻家である高村光雲の息子でしたが、彫刻の才能は遠く父には及ばなかったのですが、文学的才能に恵まれていました。
光太郎は1914年、詩集『道程』を出版。デカダンと決別し、強い意志を持って生きていく決意がこめられた作品でした。この年に光太郎32才、智恵子29才で結婚、しかし幸福な時間は長くは続きませんでした。十数後、元々病弱だった智恵子は故郷の不幸により徐々に精神を病んでいきます。智恵子に救われた光太郎は、今度は自分の一生を智恵子の病気のためにささげようと誓います。肺結核と精神病に苦しめられ1938年、智恵子は53才で亡くなりました。智恵子を思い、光太郎は1941年に詩集『智恵子抄』を刊行します。
「智恵子抄」、「智恵子抄その後」の保存版は文学少女であった家内の所蔵書であり、愛読書でもありました。
東京には空が無いと言う「あどけない話」は、家内に教えて貰ったのです!