やっと本の全部に目を通し終わりました。目を通したといってもざっとですから良句を見逃しているかもしれません。しかし意地になって目を通した甲斐はあったと思います。
そもそも、誹風柳多留は明和2年(1765年)に初編が刊行されています。1765年と言うとイギリスで産業革命が起こってその真っ最中であり、1774年にマリーアントワネットが即位し、その24年後(1789)にはフランス革命が起こっている。そんな時期です。
世界では大変な時代だったのですが、1853年にペリーが来航するまでは日本は鎖国中で平和な時代だったのですね。
目を通し終わりましたので、今日からは第1編から順にあげていきたいと思います。
第1編 このシリーズで一番最初に紹介している句もありますが、順番にあげていきます。
「五番目は同じ作でも江戸生まれ」
初編の第1句です。この当時から江戸生まれと言うのは、特別な意味合いを持つようになってきていたのでしょうね。
(解説書が届いたのでそれを見たら解釈が違っていました。江戸では六阿弥陀と言う詣でがはやっていて、坊さんの行基が刻んだ阿弥陀仏のうち五体は江戸の郊外にあるけれど一体だけは上野アメ横の付近の常楽院と言うところにあるので、これを江戸生まれと言ったそうです。郊外と言っても今日の北区、足立区、江東区に当たるそうです。)
「かみなりをまねて腹掛けやっとさせ」
有名な句ですが、この誹風柳多留の2句目だとは知りませんでした。
「衣類までまめで居るかと母の文」
衣類までまめかと訊いているのですが、これは衣類を質屋に持っていくほど苦労をしていないかという親心の意味だそうです。
「縫紋を乳をのみのみむしるなり」
生まれた赤ちゃんが母親のおっぱいを飲みながら着ている着物の紋のところを意地ってむしっている様ですね。それを母親はとがめないのでしょう。
「むかしから湯殿は知恵の出ぬ所」
西洋ではアルキメデスが湯船に入って、解決策を見つけ出したと裸で飛び出すほど、湯船は知恵を出すところなのですが、日本ではゆったりとくつろぐところなのですね。
「すてる芸はじめる芸にうらやまれ」
この句はどういうことを意味しているのかちょっとわかりかねています。でも気になりましたので載せておきます。近いうちに解説本を見ることが出来ますので、それで解消するでしょう。
(解説書が来ましたので判りました。芸達者な人が今では幸せな素人になっている。それにひきかえこれから芸の修業をして世に出なければ生活していけない。そういう二人の境遇の違いを詠んでいるそうです。これが男性か女性かは分からないそうです。)
「子が出来て川の字形りに寝る夫婦」
これも有名な川柳。誹風柳多留の初編にありました。
「本ぶりに成りて出て行く雨やどり」
俄雨で直ぐ止むだろうと雨宿りしていたけれど、止みそうにないので出て行く姿ですね。この句は後のほうの編でも見かけた気がします。
「母おやはもったいないがだましよい」
母親は腹を痛めたわが子には甘く、子の言うことにはついつい騙されてしまいがち。今も昔も変わらない親心を、騙す側から言っています。おい!子供たち反省しろよ!。いつかはわかってくれるだろう。
「飛鳥山毛虫に成りて見かぎられ」
江戸時代に桜見物で有名な飛鳥山。将軍吉宗が庶民の楽しみにと植えさせた桜です。それも毛虫が出てくると見に行く人が無くなるわけです。こんなところも川柳にしてしまうそのセンスが面白いです。このときの毛虫は今のアメリカシロヒトリではないはずです。
「新世帯何をやっても嬉しがり」
新世帯(あらしょたい)とは新婚夫婦の世帯のことです。新婚そうそうはいつの時代もこんな気分ですよね。
(これも違っていました。新所帯とは結婚式をあげない本人同士が好きあって同棲した夫婦だそうです。昔は家と家とが結びつくので家具もそれ相応に準備されていましたが、二人だけの結婚なので、所帯道具は必要最小限。本当に何もないので、何をやっても喜ばれたと言う句なんだそうです。)
「これ小判たったひと晩居てくれろ」
これも有名な句です。そして現代もその気持ちは変わりません。
「道問えば一度にうごく田植笠」
田植えのシーズンに旅人が道を尋ねたのでしょう。いっせいに顔を向けて応えてくれるその親切さは、今の変わらないでしょうね。でも田植えの風景は変わっていますね。
「ひんぬいた大根で道をおしへられ」
これも田舎の畑の情景。目に浮かぶようです。
「持ちなさい女は後にふけるもの」
娘に早めに世帯を持ちなさいと母親が言い聞かせているのでしょうか。現代は世帯を持たなくても生活できる女性が増えていますから、こういう状況ではなくなってきているのでしょうね。
(これも違いました。若すぎる嫁候補なので遠慮する男に、女は早くふけるものだからじきにちょうどよくなる、嫁に貰いなさいと薦める仲人の言葉だそうです。)
「船の子へ蟹をなげてやる蜆とり」
江戸時代のみならず昭和の時代までシジミは朝の味噌汁の定番でした。そのシジミ採りの父親が取れた蟹を船で待っている子供にほらっとなげてやっているほほえましい情景ですね。
さすがに初編には多くの良句が掲載されていました。
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