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大和撫子日記

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2006.09.20
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カテゴリ:欧米

ローマ法王発言ニュースで 思い出したこと

「ヨーロッパ人が本当にアジア人と接触するようになったのは 11世紀末に始まった十字軍遠征からです。十字軍はヨーロッパ人が アラビア人あるいはトルコ人(両方あわせてサラセン人といっています)といったアジアの民族と本格的に接触するようになった最初の段階でした。・・・略

たとえば 回教地域に攻め込んだヨーロッパ人たちは 互いに争って略奪暴行をくり返します。十字軍の戦士たちは サラセン人の腹をのこぎりでひきました。サラセン人は 金貨を飲んでいるという伝説からです。飢えると人の肉も食べました。エルサレムを陥落させた戦士たちは 神の正義の名のもとに三日間殺人・暴行・略奪をほしいままにしました。何十万という人が惨殺されたといわれます。

こんなこともあったのです。サラセン軍に包囲された エルサレムにこもっていた キリスト教徒を救出したさいのことです。囲んでいた軍の総司令官であるサラセン王は 包囲のなかにいる女 子どもを含むキリスト教徒が 包囲陣を通過して 救援軍のほうへ帰ることを許しました。あらゆる財宝を身につけてのがれたその人々は なんの略奪も暴行も受けずに 包囲網を通過します。

ところが そのあとでなにが起こったか。敵のサラセン軍の計らいで無事にたどりついた人々は 自分たちを救出するために来ていた味方の兵士たちによって 婦女を犯され いっさいがっさいを 略奪されてしまったのです。

こうしてヨーロッパ人たちは 武将としての心得においおいても あるいは人々の礼儀や節度においても つまり精神文化の水準においても サラセン人に比べて 自分たちがはるかに下であることを 身にしみて知らばければならなかったのです。

ですから少なくとも15・16世紀のころのヨーロッパ人は サラセン人をはじめアジアの人々に対して 尊敬の念をいだいていたと思われます。当時のヨーロッパ人が書き残したアジアその他の国々に関する 見聞録は きわめて客観的に世界のありさまを報告していますが それを見ても アジアにたいする軽侮の気配はうかがえないからです。

著 会田 雄二 合理主義P87~88 より






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最終更新日  2006.09.20 12:16:05



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