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カテゴリ:日本の古典文学
中学だか、高校の国語の授業で、習った古典文学に、伊勢物語というのがありました。そのなかの筒井筒というのは、みなさんも習ったことあると、おもいます。 この話は能楽のなかにも、井筒という題でとられています。 以下、雰囲気を壊さないために、原文のまま書きますね。
昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、おとなになりにければ、
かなり大ざっぱなあらすじ 幼馴染の二人が年頃になって、相思相愛で男のほうからプロポーズし、結婚します。 女のほうは、そのうち両親に死なれてしまい、貧乏になってしまったので、男のほうは、この女と貧乏暮らしをするのはイヤだ、と他に通いどころができてしまいます。 さて、男がその別の女のところへ通おうとすると、妻は不審がる様子もなく送りだすので、男は妻は浮気をしてるのではないかと疑い、隠れて様子をみます。 妻は化粧をし、しみじみと、夫の身を案じる歌を詠みます。それを聞いて、妻をいとおしく思った男は、河内の女のところへは出かけないで、残ります。 いっぽう、河内の女はうちとけて馴れ馴れしくなったからと、男は嫌がり、女のほうから何度も、あなたを待ってるわ~という歌をよこされるのですが、そのうち行くから、といういい加減な返事をします。 私はあなたをそれでも待ってるわ~という健気な歌を女はよこすのですが、結局男はこの河内の女を捨ててしまいます。 ・・・・・という話ですが、 これを初めて読んだ、当時10代の私は怒りまくり 当時の時代背景でいけば、男が女のもとへ通う、通い婚、妻の両親が娘の夫の生活の面倒をみてたのです。だから両親を失くした女、というものは、ヒジョウにあわれです。 今ならそういうときこそ、夫が妻の面倒を・・・ですが、当時は違うのですね。後宮に入った女御が、親をなくすと後ろ盾をなくすことになり、羽をもがれた鳥同然だったというわけですから(例えば、中宮定子)。 その昔、娘の親は婿の靴を抱いて寝た、というくらいですから。(なるべく自分の娘のもとにとどまって欲しい、という願いから) 現代の感覚でいけば、この男、甲斐性も責任感もなくヒジョウに情けない、加えて自分勝手。こんな情けない男に振り回される女2人は、かなりミジメ。 私は今の時代に生まれ育った人間なので、この話を読んだ時は、腹が立ったのを覚えてます。 でも当時はこれが普通だったのだ、というのなら、本当、私は今の時代に生まれててよかった~ 一夫多妻制のためにツライ思いをした女性で有名なのは、 嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る という歌を詠んだ、蜻蛉日記の作者、右大将道綱の母。 逆に妻が多くの恋を繰り返すために(男がするのはよくても、女がするのはイカンということかい)、離婚に至ったケースもあるんですけど(和泉式部)。 最後にその和泉式部の歌を百人一首に出てない歌のなかから、一首、紹介します。
夢にだにみであかしつる暁の 恋こそ恋のかぎりなりけれ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.21 19:52:17
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