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カテゴリ:日本の古典文学
こんばんは さて、今日のテーマのオチは、皆様に御一緒に考えていただきますよぉ というのも、古文は皆さんもご存知のように主語があいまいだったりして、如何様にも意味が取れることがまま、あります。そうすると全く解釈によって、意味が違ってきます。 ではまず原文からどうぞ。 これはこの間の腐りニワトリの次の段です。
むかし、陸奥にて、なでふことなき人の妻に通ひけるに、 あやしう、さやうにてあるべき女ともあらず見えければ、
しのぶ山忍びて通う道もがな 人の心の奥も見るべく
女、かぎりなくめでたしと思へど、さるがなきえびす心を見ては、 いかがはせむは。
えびす心とは、あのニコニコ顔のエビス様とは関係なく、無神経、粗野、という意味をもち、この場合この『女』のことを指します。 皆様にお出しする問題は、太字、下線の部分です(←なんだかテストのようですね) まず、私がチャラチャラの現代語訳をいたします。
昔、その都会ニイチャンが東北のほうなんかで、 別にどうってこともない、何のとりえもないような男の妻となっている、 つまり、人妻のところへ通ってたわけ。 でも不思議なことに、そういうどうしようもない、 宿六の人妻になるようではないくらい、 奥ゆかしく、優雅でたしなみもありそうに見えたので、 (手紙などを送るわけ)
忍ぶ山ってわけじゃないけどさ、こっそり君のところへ通う道とかあればいいのにね。そうしたらさ、君がどういう女性なのかって、本当の気持ちとか知ることも出来るのにぃ~
そうしたらその人妻は、すっごく嬉しがっちゃったの。 でもその都会ニイチャンは、その女性の風流も何もない本心を見て・・・・・・・・ げっそりしてしまったってわけ。
さて、問題はこの、原文にある、『いかがはせむ』ってところです。 私が参考にしてる角川文庫の注釈によると、
1)女性がはしたなく大喜びするものだから、幻滅した、という説。 2)今度は女性のほうが、自分が田舎っぺだからそれがバレたら恥ずかしい、という説 3)この作者が、都会ニイチャンに対し、『田舎っぺの心は田舎っぺに決まってるだろ!』とニイチャンの思い違いをあざ笑う説。
私は1のほうが自然かと思い、1のほうを取りました。 都会ニイチャンは、自分がちょっかいをかけておきながら、相手が自分になびくとそれをはしたないと思う。 つまり、逃げれば追う、追えば逃げる、の駆け引きの権化のようなニイチャン。 なんだっけ、憧れはあこがれるからいいのであって、手に入るとつまらない、とかいうアレ。 2)だとかえって彼女は奥ゆかしいということになり、えびす心とは正反対になってしまいます。 そういうわけで、私は1を取りましたが、皆様はいかがですか? どうこの、いかがはせむ、を訳しますか? いかがはせむ、は、いかがはせむ????(←オヤジギャグ) では面白いご意見、お待ちしております。
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Last updated
2009.06.25 07:43:52
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