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カテゴリ:日本の古典文学
昔、ある都会に住むオニイチャンが、ぶら~っと東北のほうへ出かけ、 ある地方にたどり着いたときのこと。 そこに住んでいる田舎娘は、その都会ニイチャンがカッコよく思え、 ベタぼれしてしまいました。 それで、その都会ニイチャンにラブレターなんかを書きました。
なんだかさ~、中途半端にベタぼれで焦がれて死ぬより、 ラッブラブ~夫婦という蚕にでもなればよかっただ。 ちょびっとしか生きれないとかいっても。
この彼女はその人柄だけではなく、文章さえも田舎臭いのでした。 都会ニイチャンはそういうものの、ちょびっと興味をもち、 その田舎娘のところへ出かけ、 見事ワンナイトスタンド! ところが都会ニイチャンはまだ夜中にとっとと帰っちゃったので、 田舎娘は、
朝が来たら、バケツに突っ込んでやるだ、 あのくたかけ(腐れ鶏)め。 お前が夜が明けないうちに鳴くから、あのお方 かえっちまっただよ~
と、手紙を送ったのに、都会ニイチャンは 「おれさぁ、やっぱ街へ帰るわ」と言って、
あの栗原の姉歯の松がさ、もし人間だったらね、 土産に連れてかえるんだけどって言いたいとこだけどぉ、 アレ人間じゃないから出来ないんだよね~
と書いたら、田舎娘は大喜びで、 「わだすのことを愛しいと思ってくれてるだ~~~~~」 と、ずっと、ずっと、言っていたそうです。 チャンチャン。
むかし、男、陸奥にすずろに行きいたりにけり。 そこなる女、京の人は珍らかにや思えけむ、 せちに思へる心なむありける。さて、かの女、
なかなかに恋に死なずは桑子にぞなるべかりける玉の緒ばかり
歌さへぞ鄙びたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、 行きて寝にけり。夜深く出でにければ、女、
夜も明けばきつにはめなで、くたかけの まだきに鳴きてせなをやりつる
と、言へるに、男、「京へなむまかる」とて、
栗原の姉歯の松の人ならば都のつとに いざと言はましを
と、言へりければ、よろこぼひて、 「思ひけらし」とぞ言ひをりける。
田舎娘にちょっと興味をもった浮かれ男、手をだしてみたものの、やはりその粗野、乱暴な言葉遣いにビックリ、もう夜も深いうちから、彼女の元から逃げます。 そして後腐れないようにずらかろう~とするのですが、その娘に、 「姉歯の松のように珍しいものなら都土産に連れてかえるんだけどね、でも松は持って帰られないからムリだね」 と、言うものの、やはり風流を解さない田舎娘のこと、こんなややこしい表現がわかるはずもなく、自分のことを思ってくれるんだ~ってずっと喜んでいた、というあらましです。 こういうパターン、現代でもありそうです?
しかし、こういう現代語訳を古文の大学入試で書いたら、何点いただけるのでしょう、ワタクシは??? そういや、高校のときの古典の先生は、私のテストの解答を読むのが面白い!と言ってウケテました。 「あれね~、正解には出来ないのよ、でも面白くって。だからいつもあなたの解答を読むのが楽しみなのよね~」 と言ってその先生が返してくれた、私のその答案、
見事、バツだらけで・・・・・・・・
ま、いいけど
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Last updated
2009.06.23 18:17:58
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