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鏡の国の落としあな

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2010.02.11
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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:歴史と文学

 ↑ 画像 エアランゲン大学のサイトより引用

 

いつも白い手袋をはめ、アリアを口ずさみながら手を指揮者のように動かしながら、人の生と死の判断をつけたナチスの医師。

アウシュヴィッツの収容所では、人体実験に使うためにモルモットと呼んでいた囚人の子供達からは、「Onkel(オジサン)」と呼ばれた男。

バラック小屋のまとめ役だった女囚が厳しくこのモルモットたちに当たると、「僕達にそんなことをするとオジサンに言いつけてやるんだから」と。

『オジサン』を好きだったモルモットたちは、点呼のときにオジサンに自分達の望みなどを言ってみる。オジサンは手にしたメモに何やら書きつけ、そのオジサンに欲しいものをいった子供達は全員、姿が消えてしまった。生体実験に使われたのだった・・・・・・。

オジサンは双子に異常に興味を示し、囚人達を乗せたワゴンがアウシュヴィッツに着くと、「双子、双子はいないか!」と大声で探し回る。(以下、生き残りの人たちによる証言。参考にしたのは、BBCドキュメント、ドイツ国営放送ドキュメント、アウシュヴィッツに関する書簡から。訳は私)

 

私達姉妹の姿をみて母にメンゲレは「この子達は双子だな」と訊ねたんです。母は顔色真っ青で無言のままでした。傍にいた父に同じようなことを聞くと父は「・・・・・・・はい、この子達は双子です」と答えました、それで母も仕方なく、「ええ、そうです・・・・」と。

私達はすぐさま母から引き離されてしまいました。 私は今だに後悔しています、なぜあの時、母のところへ走りよってせめてお別れの挨拶をしなかったか、と。私が母を見たのは、あれが最後だったんです・・・・・


私には毎日、何本もの注射が実験のために打たれました。そのうち自分が弱っていくのが分かりました。もう体はフラフラで、今にも死ぬのじゃないかって。でも私がここで死んだら、双子の姉が殺されてしまいます。 それをおもって、「死んじゃ駄目、頑張って生き抜くのよ!」って自分に言い聞かせました。

 

たくさんの血が私の前にいた双子から抜かれていました。そのうち、そのこは気絶してしまって、床に崩れ落ちました。するとそのこは役立たずだということで、その場で殺されてしまいました。

 

残虐非道の限りをつくしたこの若い医師は敗戦後、連合国軍に捕らえられるのを恐れ、南アメリカに巧みな逃亡を企てる。

モサッド(イスラエル諜報特務局)は、いつもギリギリのところでメンゲレに逃げられている。

メンゲレは1979年にブラジルの海岸で海水浴中に心臓発作を起こし死亡、67歳であった。

2000年になってからブラジルで公開された彼の書簡集や手帳からは過去の自分の行いを悔いている様子は一切なかった、という。

子供、特に双子の子供を用いて医学的に無意味で、しかも残虐限り実験をし数多くの子供達の命を奪った男、この男の好きだった曲は、皮肉にもシューマンのトロイメライ(子供の情景から)だという。

 

・・・・・・・・・・・私はこの曲が弾けなくなってしまった。






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Last updated  2010.02.11 21:00:57
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