『歴史の終わり』で有名なフランシス・フクヤマがこんなことを言っている。
首相就任からほぼ半年、安倍晋三氏はアジア各国を憤慨させ、日本にとって重要な同盟国であるアメリカにも複雑な思いをさせている。こうした安倍首相の刺激的な言動を牽制するため、ブッシュ政権は安倍政権に口出しするだろうか? (中略)
個人的な話をすると、私が日本の右翼と遭遇したのは、90年代初めに、渡部昇一氏とパネル討論を行ったときだった。渡部氏は上智大学の教授(当時)で、『「ノー」と言える日本』を書いたナショナリストの石原慎太郎氏の協力者である。討論相手に渡部氏を選んだのは、拙著『歴史の終わり』の日本版の出版社だった。
何度か渡部氏に会っているうちに、私は彼が「関東軍が中国から撤退するとき満州の人々は目に涙を浮かべていた」と一般の人々の前で語るのを耳にした。彼によれば、アメリカは非白人を屈服させようとしており、太平洋戦争は詰まるところ人種問題だというのである。要するに、彼はホロコースト(ユダヤ人虐殺)を否定している人々と同じなのである。 (中略)
憲法9条の改正は、安倍首相の長年の課題の一つである。安倍首相が第9条改正を推し進めるかどうかは、彼がアメリカの友人たちからどんなアドバイスを得るかによって決まるだろう。ブッシュ大統領は、日本のイラク政策支持に対する感謝から生まれた“よき友ジュンイチロウ”に対する配慮から、日本の新しいナショナリズムについて発言するのを控えてきた。しかし、日本がすでに自衛隊の部隊を撤退させていることを考慮すると、いずれブッシュ大統領は、安倍首相に対して率直に物を言うことになるだろう。
「ナショナリズムという日本の厄介な問題」(1)(2)より
フクヤマが、自著の『歴史の終わり』の日本語版翻訳者である渡部昇一がどんな人物であるを、彼と直接討論するまで知らなかったというのはとんだお笑いだが、このフクヤマの論説は、現在の内閣とそのバックにいる者たちに対するアメリカ側の困惑と警戒心を如実に表している。
安倍首相は「『戦後レジーム』からの脱却」をスローガンにしているようだが、その「戦後レジーム」の根幹にあるのは、言うまでもなく戦後の占領軍による民主化政策なのである。したがって、「『戦後レジーム』からの脱却」とは、論理的に言う限り、占領軍による施策の否定を意味することになるだろう。
むろん、安倍首相もその取り巻きも、そこまで考えているわけではなかろう。そんなふうに言われたら、きっと顔を真っ赤にして否定するに違いない。しかし、フクヤマが引用しているような渡部の言葉 (ちなみに渡部は、ノモンハン事件での敗北も否定しているそうだ) を読めば、アメリカ側がそのような危惧を抱くのもあながち不当ではないだろう。
結局のところ、安倍首相とその取り巻きが主張する「『戦後レジーム』からの脱却」とは、近代日本が唯一経験したあの戦争での敗北という、彼らの脆弱な自尊心に憑り付いているトラウマ的記憶を抹殺したいという幼稚な願望に過ぎないのだろう。
そして、そのことが表しているのは、戦後のアメリカによる庇護下で、アメリカによる保護に最も甘え続けてきたのも、またその結果として、いまや現実的な歴史観と国際的な政治感覚を最も喪失してしまっているのも、保守勢力の中でも最も反動的な、彼らのような勢力ではないのかということだろう。
さきの米国議会での「慰安婦決議」問題に対する、日本政府や与党議員のドタバタ的対応を見ても、そのことは明らかだと思う。
いわゆる「冷戦」下であれば、彼らのような親米右派の存在も許容されてきたかもしれない。しかし、「冷戦」の終了は、彼らのような「反共主義者」の存在意義をも失わせたというべきだろう。そのことに一番気付いていないのは、どうやら当の本人たちのようである。