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カテゴリ:政治
 人生というものは、一寸先は闇というか、どこへ通じるのかも分からずあちらこちらへと枝分かれしている真っ暗なトンネルの中を手探りで歩いているようなもので、おまけにときどき天井から石が落ちてきたり、足元に深い穴が開いていたりする。

 「人間万事塞翁が馬」 というけれど、なにが良くてなにが悪いことなのかなんて、その場ですぐに分かることではない。自分で責任がとれる範囲なんてものは、たかが知れているのであって、そもそも誰も親を選んで生れてくるわけにはいかない。

 芥川龍之介の晩年の作品 『河童』 には、河童の父親が母親のおなかの中にいる赤ん坊に向かって、「お前はこの世界へ生れてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ」 と声をかけ、問いかけられた赤ん坊が 「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから」 と答えて生れることを拒否する場面があるが、われわれ人間の場合はそうはいかないのだ。

 この人の場合も、政治家一族に生れたのは自分の意思ではないのだし、総理・総裁を目前にして父親が急死したのも青天の霹靂のようなものであり、そのこと自体は彼の責任でもなんでもない。「悲運の政治家」 の息子という看板を最初からしょい、将来の総裁候補と周囲から目されるようになってしまったことは本人の選択ではないのだから、その点については同情の余地がないわけではない。

 小泉純一郎も中川昭一も安倍晋三も、親の急死 (中川の場合は自死) を受けて、きゅうきょ選挙に立ったわけであるが、まあそこがこの人たちにとっての人生の岐路だったのだろう。ただし、いったん選択したからには、その後のことは自分の責任ということになる。

 この国の今の政治家に、与野党問わず二世三世が多いということは誰でも知っている事実である。そのこと自体は他の国でもあることであって、アメリカならばケネディ一家や今の大統領とかの名前がすぐに浮かぶ。古い話を持ち出せば、ローザ・ルクセンブルグと一緒に殺されたカール・リープクネヒトの父親も、ウィルヘルム・リープクネヒトといって、同じようにドイツ社会民主党の議員だった人だ。

 子供が家庭環境の影響を受けることは当然であり、父親の背中を見て育ち父親に憧れることも責められることではない。ただし、このような政治家の世襲制は、たいていの国ではむしろ例外である。どこかの国では親子二代で 「偉大なる将軍様」 ということになっているが、スターリンだって毛沢東だって、さすがにそんなことは思いつきもしなかったことだ。

 だが、この国ではこういうことが例外というよりも、むしろ常態化しつつあるようだ。むろん二世三世だからといっても、選挙という 「洗礼」 を受けなければならないのだから、厳密には世襲制度とは言えないかもしれない。

 しかし、この国で世襲議員が多いのは、ある意味で選挙と無関係ではない。いや、選挙があるからこそ、世襲議員が多いという奇妙な逆説が存在しているようだ。二世であれば親の地盤を引き継いで一定の支持が見込めるし、先代の議員の周囲にいる人たちにすれば、血のつながらぬ他人より、二世にあとを引き継いでもらうほうがいろいろと好都合なこともあるのだろう。

 それに、大政党の幹部からすれば、海のものとも山のものともしれない新人よりも、ある程度の基礎票を持ち、それなりに知名度もある人間のほうが都合がよい。タレント候補の場合も同じだが、候補者を選ぶさいに一番重要なのは、当選の可能性がどれだけあるかなのであって、政治家としての見識などは二の次である。

 そもそも何百人もの議員を抱える大政党の場合、おれはこう思う、私はこう思うみたいな議員ばっかりでは収拾がつかなくなる。船頭多くして船山に登るという諺もあるが、大多数の議員に求められているのは、政治家としての能力などではなく、せいぜい採決のときには忘れずに出席して 「賛成」 と 「反対」 を間違えず、幹部の指示どおりに投票する能力なのだろう。

 それもこれも戦後長い間、外交はアメリカに丸投げ、内政は官僚に丸投げという政治が続いてきたからで、ようするにこの国の政治家には既得権益の確保ということを除いて、それほど高い能力は求められず、また必要とされてこなかったということの反映なのだろう。

 だが、その結果、政治家の質は年をおうごとに低下するばかりであり、しかもそのようなお粗末な政治家らによって、「政治の優位」 だの 「官邸主導の政治」 だのという一見もっともらしいスローガンが掲げられた結果、様々な分野で大混乱が生じているというのが、今のこの状況ではないのだろうか。

 芸能界やスポーツの世界、文学の世界などにも、二世タレントや二世選手、二世作家みたいな人は結構いる。しかし、たいていの場合、親を超えることは難しいことだ。三波豊和も長島一茂もなべやかんも、客観的に見るかぎり父親のレベルには達していない。しかし、しょせん親は親だ、おれは親父とは違うのだと思い定めたときに、彼らは彼らなりに自分の持ち味を出せるようになってきたように思う。

 首相もそろそろ、「偉大なる祖父」 や 「悲運の父親」 の幻影から解き放たれてはどうだろうか。なによりそのほうが、彼自身にとってもよいことだと思うのだが。





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Last updated  2008.11.07 20:47:03
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