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カテゴリ:国際
ミャンマーについては、たいしたことは知らない。一般に報道されていることを除けば、太平洋戦争中に、多数の日本兵が飢えや病気で死亡し、様々な小説や映画の舞台にもなっているというぐらいのことである。そういえば、本国政府のポツダム宣言受諾も知らずに、2ヶ月もジャングルをさまよっていた親父どのが捕虜になったのも、ビルマであった。 しかし、この国の事実上の首都で、仏教の僧侶が大挙してデモ行進をするということは、容易ならざる事態のように思われる。ミャンマーの仏教は、僧個人の悟りのための修行を重視するいわゆる 「小乗仏教」(上座部仏教)であって、これまで僧侶が寺院を出て、政治的行動をとるということはあまりなかったのではないだろうか。 ベトナム戦争中のことだが、当時の南ベトナム政府高官の夫人が、仏教僧侶の相継ぐ抗議の焼身自殺について、「ただの人間バーベキューだ」 というような発言をしたことがある。ベトナムの場合、当時の支配層には旧宗主国であるフランスなど欧米の文化的影響が強く、土着の宗教や文化に対する蔑視がもともと強かったのだろう。ちなみに、ベトナムの仏教は、日本と同じく中国を経由した、大衆の救済を重視する 「大乗仏教」 なのだそうだ。 しかし、ミャンマーの仏教僧侶の社会的影響力は、当時のベトナムに比べてはるかに大きいのではないだろうか。いうまでもなく、デモを取り締まっている一般兵士の多くも仏教徒であるはずだ。したがって、今後も僧侶らの抗議行動が続き、さらに拡大するようなことがあれば、動揺する兵士も出てくるだろう。たぶん、政権側もそのことをいちばん気にしているのだろう。 非西欧の旧植民地や半植民地的な地域で、軍人がしばしば政治的に大きな役割を果たしてきたのは、実力部隊としての力もさることながら、兵器を必需品とし、その結果、先進的な文明に触れる機会も多い軍人らが、自国の後進性と近代化の必要性を最も強く感じる層であり、また市民社会の形成が遅れた中で、広い視野を持ち全国的に統一された、ほとんど唯一の勢力だったからでもある。それは、近代のトルコやエジプトでも、またある程度までは日本の歴史についても言える。 かつてのミャンマーは、特異な 「社会主義」 理念を掲げた革命国家であった。しかし、今の軍事政権は、いちおうその流れにはあるものの、すでにそのような理念は完全に放棄しているように見える。「アラブ民族主義」 と 「社会主義」 の結合を唱えた、バース党という革命運動のなれの果てであったフセイン政権もまた、現実にはそのようなものだった。 この20年ほどで、多くの軍事独裁政権が倒れたのは、国民の不満の爆発によることはむろんだが、国際的なジャーナリズムがそのことに果たした役割は大きなものがあったと言えるだろう。だからこそ、外国人ジャーナリストの取材には、非常に神経を尖らせているものと思われる。ニュースの映像で見る限り、カメラマンの長井健司さんは、明らかに近距離から狙い撃ちされたように思える。
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