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カテゴリ:政治
 このところ、朝晩の冷え込みがめっきりと厳しい。ついこないだまで最高気温が30度をこえる日が続いていたのを思うと、まったく冗談のような時の速さである。あまりに冷え込みが厳しいと、このまま冬に突入してしまうのかとすら思う。

 もともと、秋という季節は暑い夏と寒い冬の間の一時的な移行期にすぎないのであり、夏の暑さや冬の寒さのような明確な属性というものを持っていない、いささか影の薄い季節なのであるから、こればっかりはしかたがない。

 さて、「ポピュリズム」 という言葉は、一般には「大衆迎合主義」と訳されることが多い。もちろん、これは意訳なのであって、この言葉を直訳すれば単なる 「人民主義」 にすぎない。たとえば、「ヴ・ナロード」(人民の中へ)を掲げた19世紀ロシアのナロードニズムも、英語に訳せば同じ populism であり、こちらは実際にしばしば人民主義と訳されている。

 「大衆迎合主義」という意訳的な言葉は、おそらく、そういう歴史上の個別具体的な政治的社会的運動と区別すると同時に、その内容を分かりやすく伝えるために考案された訳語なのだろうが、残念ながらこれはあまり適切な訳語とはいえない 。

 実際、ポピュリズム政治家というものは、けっしてたんに大衆に迎合しているわけではない。彼らが一見大衆に迎合しているかに見えるのは、現状に不満を持っている大衆に対して、安直な、多くの場合は支離滅裂な解決策を提示してその圧倒的な支持を獲得し、カリスマ的な指導者に成り上がることで、誰も抵抗し得ない、独裁に近い強大な権力を手に入れるためなのである。

 であるから、「ポピュリズム」 という言葉を日本語に意訳するとすれば、「大衆迎合主義」 ではなく、「大衆扇動主義」 といったほうがより適切だといえるだろう(たぶん、この程度のことは、すでにどこかの偉い人が指摘しているとは思うが)。

 したがって、ポピュリズム政治家というものは、既成支配層や既得権益者に対する攻撃を特徴とする。これは、アメリカの場合は、通常は 「東部エスタブリッシュメント」 と呼ばれているワシントン周辺に生息する集団であり、日本の場合は霞ヶ関一帯に生息する集団ということになるだろう。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、彼らポピュリストが攻撃する 「既得権益者」 とは、しばしば現実的な存在ではなく、むしろ一般にそのようなものとして想像され、素朴に信じ込まれている幻想的存在にすぎない場合が多い、ということである。

 その一番の好例としては、資本主義の害悪をもたらした元凶として、ユダヤ資本だとか、「ユダヤ人の陰謀」 なるものを攻撃した、戦前のフランスやドイツの反ユダヤ主義者たちをあげることができるだろう(このへんは、内田樹さんの『私家版・ユダヤ文化論』で詳しく紹介されている)。

 『婦人論』の著者として知られるドイツの社会主義者ベーベルは、かつて「反ユダヤ主義とは愚か者の社会主義である」 と言ったが、彼らポピュリストは、大衆の中に即自的に存在する差別感情や怨念を刺激し、扇動することで、大衆の支持を獲得しようとするのだ(もっとも、話がややっこしくなるのは、内田さんが指摘しているように、彼らポピュリスト自身が、しばしばそのような幻想を真面目に信じ込んでいるからなのだが)。

 であるから、本来はポピュリズムというものは、普通どちらかといえば下層から、少なくとも既成支配層の外側から沸きあがってくることが多い。その点で、今なお一部で続く小泉人気というものは、なにやらまことに奇妙なものであった。なぜなら、いかに党内の非主流であり、変人であったとしても、彼は長年の与党の一員であり、純然たる 「既成支配層」 の一員なのだから。

 したがって、彼の政治手法をポピュリズムと呼ぶとすれば、「上からの革命」 とか 「上からのファシズム」 というような表現を援用して、「上からのポピュリズム」 とでも呼べばいいだろうか。ただし、このような政治のポピュリズム化は、政治的な無関心層や無定見な浮動層が増大している現状では、一定の必然性があることも認めなければなるまい。

 現代社会とは複雑に分化した社会である。そこでは、各種各層の様々な利害が複雑に絡み合っている。その利害は、しばしば互いに対立するものでさえある。であればこそ、社会の各種各層は、自己の利益代表者を政治の場に送り込むことでその利益を主張しなければならない。これは民主主義における当たり前の政治過程なのであって、けっして非難されるべきことではない。

 また、このことは、憲法で規定された 「国会議員は国民全体の代表者である」 ということとも必ずしも矛盾しない。なぜなら、そのように社会の各層、すなわち都市や地方、高齢者や若年層、男性、女性、農民、漁民、労働者、中小企業や商店の親父さんなど、社会のみんなが自己の利益を主張することで、はじめて国民全体の利益を最適なものとして実現することもできるからだ。

 つまり、国民全体の利益とは、そのような国民各層が自己の利益を主張しあい、互いに調整しときには妥協する中で、はじめて具体的なものとして明らかになるのであり、最初からそのようなものが、様々な個別の利益を超えた超越的なものとして存在しているわけではない(むろんこれは程度問題でもあるが)。

 もしも、自分たちの利益が政治において無視されていると感じる人たちがいるならば、必要なのはその声をあげることであり、できるならば自分たち自身の代表を政治の場に送り込むことだ。それは、多くの場合、不満をそらすための 「幻想」 として作り上げられたにすぎない 「既得権益層」 を攻撃することではない。ましてや、なにやら胡散臭い政治家に自己を投影し、自分の不満や要求を丸投げにして、自己をそっくり委ねてしまうことではない。

 小泉政治以来、「X X 党は労働組合の利益の代弁者だ」 みたいな批判の仕方が、一部ですっかり定着してしまったようだ。このような批判が、たいていは批判者自身を棚に上げたものにすぎないことはともかくとして、これは理論的に言う限りでは根本的に間違っている。

 なぜなら、それは社会の各種各層が自分の利益を主張するために、自己の代表者を政治の場に送り込むことを否定するものであり、それはつまり民主主義そのものの否定につながるからだ。

 もしも、自分はどのような特定の階層や地域の利害の代表者でもなく、国民すべての代表者であるというような顔をし、自分はそのようないかなる利害対立からも超越しているかのように主張する政治家がいるとすれば、実際には彼は誰の代表者でもなく、彼や彼の党自身を代表しているにすぎない。民主主義の下における独裁的支配者は、しばしばそのような顔をして現れるのである。





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Last updated  2007.11.13 05:02:55
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