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カテゴリ:国際
二日ほど晴天が続いたと思ったら、今日は雨である。いわゆる 「三寒四温」 であり、チーターの歌の文句を借りれば、「三歩進んで二歩下がる」 というところだろうか。間違っても 「一歩前進二歩後退」 であってはいけない。それでは、また冬に戻ってしまう。 問題は、一般の民衆に対する現在の中国の強権的な支配方法にある。今回のチベットの騒乱では、そのような現在の中国の支配方法の特質が集中的に表されたと見るべきだ。それは、けっしてチベットのような少数民族地域だけに限られることではあるまい。程度の差はあれ、現在の党や政府に対して批判的な人々に対しては、一様にとられているのではないか。 また、この問題について、「中国の内政問題」 だなどと言って口を閉ざしている党もあるらしい(参照)。 ならば、かつてのインドネシアのスハルト政権による東ティモール弾圧も 「内政問題」 であるし、セルビアによるコソボのアルバニア系住民への弾圧も 「内政問題」 であろう。 むろん、キング牧師が戦いを挑んだ、かつてのアメリカ国内での法制度的な黒人差別も、南アフリカのアパルトヘイトも 「内政問題」 であろう。いや、それどころか、ヒトラーによるユダヤ人弾圧だって、少なくともドイツ国内で行われていた限りでは、ドイツの 「内政問題」 だったわけだ。 ようするに、差別的な政府による少数民族への差別や、独裁的な国家による反対派への抑圧は、すべて 「内政問題」 であり、したがって 「内政不干渉」 の原則からして、そのような政策を非難してはならないということになる。まったく、なんたる馬鹿げた万能の理屈だろうか。 さらに、アメリカのイラク攻撃を支持した小泉首相に批判的な意見書を提出して、外務省を辞め、一躍名を上げた天木直人氏は、自分のブログで次のように書いている。
では、その 「可愛さ」 とやらは、いったいなにをもって計るのだろうか。犠牲者の数によってなのか。だが、数で言えば、ダルフールの犠牲者のほうが、イスラエルのガザ侵攻による犠牲者よりもはるかに多いはずだ。94年にルワンダで起きた虐殺の犠牲者は、それをはるかに上回るものだ。 アメリカによる一極支配が、今日の世界で様々な矛盾を生んでいるのは事実だろう。だが、だからといって 「諸悪の根源はアメリカにあり」 とばかりに、ただアメリカばかりを批判し非難していればすむというものでもあるまい。試されているのは、そういう悪や抑圧の 「可愛さ」 とやらを計る、手前勝手な物差しのいいかげんさなのではないのか。 かりにも外交官であった天木氏が、50年代、60年代のハンガリー動乱やチェコの改革に対するソ連の武力介入といった歴史的事実を知らないわけでもあるまい。当時もやはり、「謀略」 だとか 「反革命」、「分裂主義者」 だのといった言葉が投げつけられていたものだ。 釜茹での刑に処せられた、かの大泥棒、石川五右衛門ではないが、まったくの話、「世に馬鹿者の種は尽きまじ」 という感慨を抱いていしまう今日この頃である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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