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カテゴリ:国際
もうすぐ五月である。すでに桜は散り、ツツジがちらほらと咲いている。団地の中の芝生には、細長い1本の茎をひょろひょろと伸ばし、そのうえに豆の花にちょっと似た、紫色のごくごく小さい花をぽつぽつといくつかつけた草があっちこっちに群生している。 今までに見た覚えのない花だったのでネットで調べてみたが、なんの花か、よく分からない。あちらこちらにいっせいに咲いたことから考えると、どこからか、風に乗って小さな種が大量に飛んできたのかもしれない。まさか、黄砂に混じって、中国からやってきたわけではないだろうが。 最近になってやっと気付いたのだが、「みどりの日」 がいつのまにか 「昭和の日」 になっていた。「憲法記念日」 と 「こどもの日」 の間の5月4日が休日になっていたことはむろん前から知っていたが、それが 「みどりの日」 をそこに移したためだとはまったく知らなかった。面目ない話である。 2.26事件で刑死した北一輝は、昭和天皇のことを 「くらげの研究者」 などと陰で呼んでいたそうだが、昭和天皇の専門はたしか粘菌の分類だったはずである。粘菌の研究者といえば、紀州の変人、南方熊楠が有名であり、熊楠は天皇に軍艦 「長門」 の上で粘菌についての講義をしたことがあるのだそうだ。 事前に予想されていたことではあったが、長野での聖火リレーは大騒ぎだった。なんでも聖火リレーが行われるようになったのは、ヒトラーの第三帝国下で行われたベルリン大会が最初なのだそうだ。のちに、このときのコースをなぞるようにして、ドイツ軍が全ヨーロッパを席巻したということで、このリレーはそのための下調べだった、という説を唱えている人もいるようだが、本当のところは分からない。 ただ、聖火の行く先々で五星紅旗を振り回す中国人の姿は、外部から見るといささか異様に映ってしまう。アジアでは日本と韓国に続くオリンピック開催ということで、その成功にかける熱意も分かるし、チベット問題に関連した、いろいろな抗議や妨害行動に神経を尖らせているのも分かる。だが、自分たちのそのような行動が世界の目にどのように映るかまでは、いささか頭がまわっていないように見える。 現在の中国は、拒否権を有する国連安全保障理事会の常任理事国であり、様々な意味において、誰も否定できないまぎれもない大国である。そして、海外からもそのような目で見られている。だが、その一方で、都市の近代化は進み、一部の市民こそ裕福になったものの、まだまだ地方や農村には貧しい人々も多い。百年近くもの間、日本や西欧諸国による政治的経済的な侵略を受けていた記憶も、まだまだ消えてはいないだろう。 たぶん、中国人自身にとっても、世界で唯一途切れたことのない長い歴史と文明を有し、いまや世界有数の大国の一つになっているという強烈な自負心と、それでもまだまだ全体としては、世界の先進諸国には追いついていないという意識、さらには過去に侵略を受け、国が長く混乱したという歴史感情とが複雑に絡み合って、世界に対する、なにやら屈折した奇妙な感情が生じているように思える。 そういった感情が、チベット問題をめぐって沸き起こった、北京オリンピックに対する開会式のボイコットだとか聖火リレーへの妨害だとかで、どうやら一種の 「被害感情」 を増幅させ、一部の過激な行動を生んでいるようだ。しかし、このような行動は、ここかしこでくすぶっている、かつての 「黄禍論」 ともよく似た 「中国脅威論」 をさらに拡大させるおそれすらある。 自分自身についての主観的な評価というものが、必ずしも正しいものではないことは言うまでもない。だが、それと同様に、外部からの評価というものも、必ずしも正しいものではない。外部による評価というものも、それぞれの主観による以上、これも当然ではあるが、とりわけ、中国のように巨大かつ多様であり、しかも内部からの情報がいまだに大きく制限されている国の場合はなおさらである。 おそらく、多くの在外中国人たちは、自分たちの国家と民族に対する強い誇りに加えて、国外に出ることでいやでも感じざるを得ない、外部から受ける 「大国」 としての自国の評価と、けしてそうとばかりは言えないその実情を知る者としての自己評価との落差にも苦しんでいるのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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