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カテゴリ:政治
アメリカの大統領選挙は、民主党のオバマ候補が当選した。これが今後の日本や世界にとってどういう影響をもたらすかはわからないが、とにかくキング牧師らによる公民権運動からわずか40年で、明確に 「有色人種」 の血を引く大統領が誕生したということは、アメリカの歴史にとって画期的なことだと言っていいだろう。 公民権運動が始まる前の、学校やバスの座席、出入りする公園や飲食店の類にいたるまで、黒人と白人とが別々に分けられていた時代を知る人らにとっては、おそらく隔世の感があるに違いない。心配されていた 「ブラッドリー効果」 は、たいした影響がなかったようだ。オバマ陣営と彼を支持する人たちには、そのような 「効果」 など吹き飛ばすだけの勢いがあったということなのだろう。 日本では、選挙期間中、福井県の小浜市がオバマつながりで一躍脚光をあびたが、長崎の雲仙にも温泉で有名な小浜という町がある。こちらのほうも、きっとオバマ人気にあやかって客を集めたいところだろう。 したがって、そういう評価というものは、つねに高すぎるか低すぎるかのどちらかということになるだろう。そもそも、なにがどうなったときが、誤差なしのぴったんこに正確な評価なのかということも判然とはしないのだから。 ただ、人はいろいろな経験を重ね、失敗と成功を繰り返し、あるいは他人を鏡とすることで、過小評価と過大評価をたえず修正しながら、自己の客観的な評価に務めるものだということは言えるだろう。 ただし典型的な後者のタイプというのは、一代で会社を育て上げ、財をなしたような人とかによく見られる。ダイエーの中内氏のように大きな成功をあげた人というのは、それがカリスマ的な権威となるため、周囲の人間としてはなかなか意見が言いにくいものである。これが嵩じると、他人の意見には耳を貸さないワンマン経営者が誕生するのである。 いずれにしても、こういう 「自己評価」 の高い人というのには、他人から意見されたり、反対されることを嫌うものである。そのため、そういった意見をする独立心と自尊心を持った人らは、やがて一人去り二人去りと、その周囲から離れていくことになる。 それに、そういう 「自己評価」 が高い人自身、どちらかというと自分と対等とか自分より上だと見た人よりも、自分より下と見た人との付き合いを好む傾向がある。それはむろん、そのほうが高すぎる自分の 「自己評価」 が損なわれる恐れがないからである。 そういう 「自己評価」 の過大さというものは、たいていの場合、本人自身、どこかで気付いているものだし、利休に腹を切らせた、かの秀吉のように、どこかに劣等感が潜んでいる場合というのもあるだろう。 実際、一部で 「お友だち内閣」 と揶揄された安倍内閣がそうだったし、現在の麻生内閣にも、その傾向はあるように見える。麻生首相はなんでもかんでも 「オレがオレが」 という人のようだが、そうなると自分より格上の人が近くにいたりすると、邪魔で邪魔でしょうがないということになる。 就任当初、早い段階での選挙を考えていたらしい麻生氏は、景気対策を理由に選挙の引き伸ばしを図っている。しかし、ずるずると引き伸ばしたところで、麻生内閣の支持率が上がるとも思えない。実際、テレビにあの周囲を睥睨してだみ声でしゃべる、いかにも傲慢そうな顔が映るたびに、支持率は下がっていくばかりではないだろうか。 選挙に勝てる総裁ということで麻生氏を選んだ自民党内からは、そろそろ 「話が違うじゃないか」 という声が聞こえてきそうである。
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Last updated
2008.11.07 03:26:15
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