先週あたりから九州もいよいよ寒さが増しており、日中の最高気温も十数度にしかならない。気がつくと、ついこないだまでは夕方6時を過ぎてもまだ明るかったのに、今や6時でもう真っ暗である。
急激な寒さのおかげで、数日前には熱を出してしまった。夜になって体がぞくぞくしてきたので体温計で測ってみたところ、38.5℃もあった。こりゃ大変だ、と家人に訴えたところ、「そんなもん、たいしたことない」 と軽く一蹴されてしまった。それどころか、「あんた、私が熱を出したときになんかしてくれた?」 と、逆ネジを食らってしまった。とんだ薮蛇であった。
ところで、巷では 「未曾有」 を 「みぞゆう」、「踏襲」 を「ふしゅう」 と読んだとかで、麻生首相による数々の読み間違い、言い間違いが話題のようである。言い間違いの心理についてはフロイトの説明が有名だが、『精神分析学入門』 には、昔、ある国の議会の議長が、議会の開会を宣言しようとして、つい 「閉会」 を宣言してしまったという話が引用されている。
この話は 『日常生活における精神病理』 の中により詳しく書かれており、これによるとそもそものねたは、メーリンゲルという人の 「いかにして人は話しそこなうか」 という論文にあるのだそうだ。フロイトはこの人の論文から、次のように引用している。訳が古いのでちょっと読みにくいが、そこはご勘弁を。
私どもは近頃オーストリア衆議院議長が議事を開いたときの様子を今もなお記憶している。
「諸君! 一定数の諸君の出席がありますから議事を閉じます!」 と彼が言い、満場の哄笑にあってはじめて彼は気づいてその誤りを訂正したのである。この場合においては議長はあまり良い結果を期待しえない会議を早く閉じうる立場にいたいと希望したということに説明すべきであろうと思われる。(以下略)
時代は19世紀末、音楽の都ウィーンを首都とし、名門ハプスブルク家が治めるかつての栄光あるオーストリア帝国も、東はロシア、北はドイツ、西はフランス、さらに南はイタリアにはさまれ、おまけに国内では皇帝陛下に反抗的な社会民主党の伸張著しく、帝国東部ではスラブ系諸民族のナショナリズムも高まっていた時代であるから、議長閣下が頭痛のあまり議会を早く閉じてしまいたかったというのも分からないではない。
昔、塾に務めていたころの話だが、中学生相手の地理の授業中に、福岡県の特産として有名な果物は何か、という質問をしたところ、いきなり大声で 巨乳! と答えた生徒がいた。むろん、これは巨峰の誤りであり、本人は巨峰と言うつもりでの単純な言い間違いである。
巨乳! という言葉が室内に響き渡った次の瞬間、もちろん教室中が爆笑の渦に巻き込まれ、当の本人もすぐにその言い間違いに気付いて真っ赤になってしまったのだが、これなどは日頃からエロエロな妄想で頭がパッツンパッツンしている、純情可憐な男子中学生ならではの言い間違いである。
首相は母校の学習院大で開かれた 「日中青少年歌合戦」 のあいさつで、日中韓首脳会談について 「1年のうちにこれだけ 『はんざつ』 に両首脳が往来したのは過去に例がない」 と言ったそうだが、これなども、やはり無意識のうちに、ああ、面倒やな、煩わしいな、これじゃ好きなサンデーもマガジンも読めねえよ、という日頃の心理が働いて、原稿の中の 「頻繁」 という文字が目に入った瞬間、自動的に字面が似た 「煩雑」 に置き換えられ、そう言ってしまったのだろう。まさか、「ひんぱん」 と 「はんざつ」 の言葉の違いを知らなかったわけではあるまい。
また、漢字が使われている熟語などは、その正しい読み方をきちんと確認せぬまま、間違って覚えていても、意味だけは用例や話の前後などから、それなりに理解しているということもありうる。「未曾有」 を 「みぞゆう」、「有無」 を 「ゆうむ」 と読んだなどという例は、たぶんそういうことだろう。
いくらなんでも、還暦をとうに過ぎ、議員歴もすでにほぼ30年になろうという人が、そういう言葉そのものを知らなかったとは考えられない。それに 「未曾有の危機」 なんて言葉は、首相が好きだと公言している漫画でも、かわぐちかいじの 「沈黙の艦隊」 あたりならごく普通に出てきそうなものである。
ただ、そういう覚え間違いは、たいていは若い時分の話であり、他人の話を聞いたり、会話をする中で次第しだいに訂正されていくものである。言い間違いや読み間違いをして、他人から指摘されたというような経験は、たぶん誰だってあるだろうが、そういう指摘を受ければ、恥をかかされたなどと怨みに思わずに、教えていただいたと思って感謝すればいいだけのことである。
しかし、その種の間違いが、還暦過ぎてもまだこれほど多く残っているということは、この人はそもそも人の話や指摘にほとんど耳を貸さない人なのか、それともこれまでは、その種の言い間違いに対して、誤りを指摘する人がほとんどいなかったのかのどちらかということになるだろう。むろん、その両方ということもありうるが、彼の周囲には、アンデルセン描くところの 「王様は裸だ!」 と指摘するだけの勇気ある少年がいなかったということは、十分に考えられることだ。
話を元に戻すと、どうやら首相自身、ああ、面倒だ、煩わしい、という心境のようだから、ここは与党の皆さん、党内で一致団結して首相をその椅子から引きずりおろして差し上げるのが、ご本人のためにもなるのではあるまいか。二転三転、朝令暮改を繰り返し、悪評紛々となった全家庭への一律給付金の発表以来、麻生氏への風当たりは強まる一方であり、政権への求心力はとうに失われている。このままでは、解散総選挙など夢のまた夢であろう。
そもそも麻生氏が将来の総裁候補と呼ばれるようになったのは、小泉時代に 「麻・垣・康・三」 などというキャッチコピーで持ち上げられるようになったのがきっかけだが、そのうち二名はすでに過去の人となり、また一名もいまや気息奄々の状態である。
小泉政権の終了からわずか二年ちょっとで、四人もいた将来の総裁候補のうち、残りは古賀派と和解して、宏池会の代表世話人とやらに納まった谷垣禎一氏ただ一人になってしまった。時の流れというものは早いものであり、まことに残酷なものである。
追記: 偉そうなことを言いながら、「西はロシア」、「東はフランス」 と東西を間違えてました。面目ありません。なお、当時の オーストリア=ハンガリー帝国 とフランスは、直接に国境を接してはいません。直接国境を接していたのはスイスですが、とりあえずオーストリアを四方から包囲していた大国の1つということで、名前をあげました。