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カテゴリ:神話・伝承・民俗

 大量の情報が光速でやり取りされるこの時代にあっては、ずいぶんと間の抜けた何周も遅れた感想ではあるが、先週11日に、静岡でけっこう大きな地震が起きていた。最大震度は6弱、マグニチュードは推定で6.5と報道されている。

 日本が地震大国であることはだれでも知っているが、記録に残っているもっとも古い地震というのは、日本書紀に載っている允恭天皇の時代、西暦416年のことだそうだ。允恭天皇は仁徳天皇の息子であり、さらにその息子が雄略天皇ということになっている。このあたりの天皇は、多くの研究者によって、中国の史書に記載された讃・珍・済・興・武といういわゆる 「倭の五王」 に比定されているが、はっきりいって、どこまで信用できるかはなんともいえない。

 二番目の記録は推古天皇、つまりは聖徳太子の時代でもある599年らしい。聖徳太子についてもあやしげな伝承が多く、実在を疑う説もあるようだが、地震については書紀に 「地動。舎屋悉破。」 と前よりも詳しく書いてある。なので、素人判断ではあるが、この記述はたぶん信用できるだろう(参照)

 時代はずっと下るが、平安末から鎌倉初期にかけて生きていた鴨長明の 『方丈記』 には、1185年に近畿を襲った大地震について、下のように記述されている。ときは、平家が滅んだ壇ノ浦の合戦から4ヶ月後。長明は触れていないが、なにしろ幼子であった安徳天皇や、その他の多くの平氏一門が海に沈んで間もないときだから、おそらくは京の都中が、「たたりじゃ、たたりじゃ」 の声で大騒ぎだったことだろう。

 また、同じころかとよ、おびただしく大地震ふることはべりき。そのさま世の常ならず。山はくずれて川をうづみ、海はかたぶきて陸地をひたせり。土さけて水湧きいで、いわを割れて谷にまろび入る。渚こぐ船は浪にたゞよひ、道いく馬は足の立處をまどはす。都のほとりには在々所々、堂舎塔廟、ひとつとしてまたからず。あるは崩れ、あるはたおれぬ。塵灰たちのぼりて、さかりなる煙のごとし。

 地の動き、家の破るる音、雷にことならず。家のうちにおれば、たちまちにひしげなむとす。走り出づれば、また地割れさく。羽なければ空をも飛ぶべからず、龍ならばや、雲に乗らん。恐れの中に、恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚えはべりしか。

 平安末期から鎌倉初期といえば、源平の合戦から義仲と義経、義経と頼朝という源氏の内輪もめ、さらに北条氏によって将軍の座からむりやり降ろされた二代頼家から三代実朝と相次いだ将軍暗殺、最後は執権として実権を握った北条氏と、和田義盛など他の御家人とによる権力闘争など、幕末維新もまっさおなくらいに、血で血を洗う争いが絶えなかった時代である。

 中でも、歌人としても名を知られており、北条氏の陰謀に巻き込まれるかのように、無残に殺された頼家の子公暁(実朝にとっては甥になる)によって、父の仇として惨殺された、頼朝の血をひく最後の将軍実朝は、日本史における三大悲劇人の一人といってもいいだろう(あとの二人は考え中。候補者が多すぎて困っている)。

 なにしろ、実朝については、戦前には小林秀雄の 「実朝」、小説では 「平家ハ、アカルイ、...... アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ」 との文句で有名な太宰治の 「右大臣実朝」 があり、戦後のものでは吉本隆明の 『源実朝』 もある。史学や和歌に関する専門的な研究者による論文・研究の類ならば、それこそ山のようにあるだろう。

 吉本のまとめを借りると、鎌倉時代の歴史書である 『吾妻鏡』 には、実朝が13歳で将軍についてから鶴岡八幡宮で横死するまでの16年間に、鎌倉では大小含めて35回の地震が記録されている。そのうちのひとつで、現在確認されている地震は、建暦3年5月21日(1213年6月18日)におきたもので、マグニチュード6.4と推定されているということだ。ちなみに、『吾妻鏡』 にはこのときの地震について、「音有って舎屋破壊す。山崩れ地裂く。」 と記されている。

 なお、数年前に亡くなった人だが、比較神話学を専門とする大林太良は、『神話の話』(講談社学術文庫)の中で、地震の原因に関する神話について次のように分類している。

一 大地を支えている動物が身動きすると地震がおきる。
  a 世界牛(大地を支えている巨大な牛のこと)が動くと地震がおきる。
  b 世界をとりまく、あるいは支える蛇が動くと地震がおきる。
  c 世界魚が動くと地震がおきる。

二 大地を支える紙あるいは巨人が身動きすると地震がおきる。この特殊な形式としては、縛られた巨人が身動きして地震をおこすという神話や信仰がある。

三 世界を支える柱あるいは紐を動かすと地震がおきる。

四 男女の神あるいは精霊が性交すると地震がおきる。

五 地震がおきると人々は「われわれはまだ生きている」と叫んで、地震をおこす祖先や神の注意を喚起して、地震をやめさす。


 と、ここまで書いていたら、ついさきほどまた地震があった。瞬間的にぐらっと揺れただけであったが、数分後に、震度3というテロップがテレビ画面に流れた。前日から続く深夜にも地震があったそうだが、こちらのほうはぜんぜん気づかなかった。福岡は地震の少ないところといわれていたのだが、どうやら4年前の西方沖地震以来、平野の中央から玄界灘の沖まで伸びている断層が活動期にはいっているようだ。

 4年前の地震が起きたのは朝の11時頃であった。日頃の習慣でまだ寝ていたのだが、がばっと跳び起き、部屋をすべてまわり、大事がないことを確認してからまた寝たのだった。昼頃になって、同じ市内に一人で住んでいる父親から 「手伝いに来てくれ」 との電話を受けた。

 こっちはたいしたことなかったから、向こうもそうだろう、たぶん歳をとってるし、日頃地震などなかったから動転してんだろうなどとのんきに出かけたら驚いた。部屋に入ると本棚も食器棚も倒れ、部屋中に書籍やノート、食器類が散乱し、おまけにテレビまで床の上で胡坐をかいていた。

 すぐ近くにあった寺の塀は全壊していたし、マンションの壁にもあちこちひびが入っていた。父親の住んでいたマンションはちょうど断層の真上にあったため、局所的に揺れが大きかったらしい。数日後、海岸沿いの埋立地にある図書館に行ってみたら、こっちもあちこち敷石やタイル、レンガが浮いていた。地震の揺れというのは震源からの距離だけでなく、地盤によってもずいぶんと違うものだなと痛感したのであった。

 さいわいにして、父親は別の部屋で寝ていたので、落下した書籍に埋もれるということはなかったのだが、今回の静岡地震では、部屋の中に天井まで平積みにしていた大量の雑誌や書籍が崩れて、女性がひとりなくなっている。わが家にも大量の本があって、壁にスチールの本棚を3つ並べた横で毎日恐怖に怯えながら寝ている。

 というのは嘘だが、4年前の地震でさっさと二度寝して以来、すっかり同居人の信頼を失い、「今度なにかあったら、あんたは一人でさっさと逃げるんでしょ」 などと、毎日のように責められているのは本当である。






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Last updated  2009.08.18 15:09:07
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