|
カテゴリ:神話・伝承・民俗
粘土でできた巨人ゴーレムといえば、アニメやファンタジー、ゲームなどに欠かせないキャラクターとして、いまなおあちらこちらで引っ張りだこのようだ。ざっと調べただけでも、「遊戯王」 や 「ドラゴンクエスト」、それに 「ゲゲゲの鬼太郎」 にも登場したという(もっとも、いずれもよくは知らない)。 このゴーレムについて、渋澤龍彦はつぎのように言っている。 ゴーレムは中世紀からユダヤ伝説にあらわれるようになった、呪文によって生命を吹き込まれた一種の土偶であり、フランケンシュタイン風の人造人間である。これもまた、中世魔術の生命造出に関する野望の反映であろう。 十六世紀初頭のタルムード学者ケルムのエリヤが、カバラの原典 『創造の書』 の助けを借りて、初めてこのゴーレムを作ったのも、プラーグの町のゲットーであったらしく、名高い律法教師のレーウェ・ユダ・ベン・ベザレルが、1580年、神の命により二人の助力を得てゴーレムを製作したのも、やはりプラーグのゲットーにおいてであったようだ。
額に書かれた 「真理」 という意味の "emeth" の最初の一文字を消して "meth" にすると、「われは死せり」 の意味となり、もとの土くれに戻るといった話もよく知られている(本来はどちらもヘブライ文字なのだが、ここでは表記できない)。 この映画はyoutubeにもアップされており、一部を見ることができる。映画はむろん白黒で、もとはサイレントなのだが、ゴーレムは監督自身が演じており、白黒のコントラストが、表現主義っぽい当時のいささかどぎつい演出や背景のセットにマッチしている。ゴーレムは泥人形だということで、たぶん顔にも衣装にも金粉のようなものを塗りつけているのだろう。動きもことさらのようにぎこちないが、巨人といいながら、じつは背丈は他の登場人物とそれほどかわりがないというのはご愛嬌。 マイリングの小説については、舞台であるプラハの住人であったカフカの言葉が、彼の年少の友人であったグスタフ・ヤノーホという人が第二次大戦後に出した、『カフカとの対話』 という題の回想録の中に残されている(カフカの没年は、オーストリア帝国が解体した第一次大戦後の1924年)。
内部で、私たちは、やはり古い悲惨な小路を歩くときのようにふるえています。私たちの心臓は、衛生施設の普及についてまだなにも知らないのです。私たちの内部の不健康な旧ユダヤ街は、私たちの周囲の衛生的な新市街にくらべてはるかに現実的です。目覚めつつ私たちは夢の中を歩む。その私たち自身、過ぎ去った時代の亡霊にすぎないのです。
いまぼくは見知らぬ訪問者がどんな格好をしていたか知っていた。それを感じようと思いさえすれば ―― いつなんどきでも ―― ぼくのからだで感ずることができただろう。しかし彼の格好を思い描くこと、つまりぼくの目のまえに面と向かってそれを見ること ―― それはあいかわらずできなかった。それはいつまでたってもできないだろう。
ポーの 『ウィリアム・ウィルソン』 の場合、主人公の分身たる同姓同名で同じ誕生日、むろん顔も同じという男は、主人公が虚栄や虚飾、放蕩といった悪行三昧にふけっているところに必ずといっていいほどあらわれて、警告を与え、友人らの前でその仮面をはがし、卑劣な男としての正体を暴き出す。つまり、この分身は彼の封印されていた 「良心」 であり、そのうずきであり、手遅れとなった 「悔恨」 の表れということになる。 つまるところ、このようなドッペルゲンガーとは、自己を見ている自己、または自己によって見られている自己のことであり、フロイトふうに言えば 「超自我」、三浦つとむふうにいえば、観念的に二重化された自己の一方が 「実体」 として外部に投影されたものということになるだろう。芥川は 『歯車』 のなかで、「僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行った。いつか曲り出した僕の背中に絶えず僕をつけ狙っている復讐の神を感じながら。……」 と書いている。 ところで、一作目の大魔神は丹波山中の岩壁に掘られた立像、二作目ではどこだかよく分からないが、湖の真中にある島に祀られた像、そして三作目では、飛騨山中にある 「地獄谷」 とかいうところに近い山の頂にある坐像という設定になっている。
関連記事: 怪奇 「砂男」 の恐怖 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[神話・伝承・民俗] カテゴリの最新記事
|