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カテゴリ:ネット論

 最近は不景気のせいか、めっきり仕事の量も減っている。とりわけ、夏以降は極端な低空飛行が続いており、このままでは墜落しかねない。昨年9月にアメリカで起きたリーマンショックに始まる世界的な不況は、まず輸出を主とする製造業を直撃したが、その後も立ち直る気配はなく、じわじわと社会や産業の末端のほうへと浸透しているのかもしれない(経済については疎いので断言はしない。あくまでもただの印象)。

 同業者らの話を聞くと、どうやら業界全体が不景気であり、仕事の絶対量そのものが減ってきているようだ。ということは、夏をすぎて仕事が減ってきたのは、とりあえずミスや不手際といった自己の責任によるものではないということになる。とはいえ、それは言い換えると、自分の力だけではどうにもならぬということだから、これはいったい喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。

 先日、ニャーニャー弁でおなじみの 地下に眠るM さんから、ユング心理学の入門書として、河合隼雄の 『影の現象学』 を薦められた。そのときは書名しか知らないと答えたのだが、二三日前に、なにげなく書棚を見たらちゃんと飾ってあった。おやおや、いったいいつの間に、これこそユングの言うシンクロニシティかな、などと思ったが、なんのことはない、自分で買っていたことを忘れていただけ。もはや自分の書棚になにがあり、なにがないのかも分からない状態なのだ。

 ぺらぺらっとめくってみると、たしかに 「ドッペルゲンガー」 についても、いろいろと触れられている。事前にこの本を読んでおけば、もうちょっとましなことが書けたかもしれない。ユングと、そして河合自身も言うように、たしかに影とは誰もが持っている自分の半身であり、また分身である。それは世界各地の多くの神話や伝承、民話や習俗、さらには子供の遊びなどからさえ確認できる。

 しかし、ユングの言う影とは、それだけに留まらない。同書から彼の言葉を孫引きすると、「影はその主体が自分自身について認めることを拒否しているが、それでもつねに、直接または間接に自分の上に押しつけられてくるすべてのこと ―― たとえば、性格の劣等な傾向やその他の両立しがたい傾向 ―― を人格化したもの」 であり、河合の言葉によれば、「その人によって生きられることなく無意識界に存在している」「その人によって生きられなかった半面」 というのが、その人の影ということになる。

 同書では、シャミッソーの 『影をなくした男』 がとりあげられているが、この短編では、金に困っていた主人公のペーター・シュレミールが、ある金持ちの園遊会で見かけた、ドラえもんのように服のポケットから次々と物を出す不思議な 「灰色の服の男」 から、影と引き換えに、次から次にいくらでも金貨が出てくる 「幸運の金袋」 を授かる。

 しかし、影をなくした男は、たちまち世間による迫害の嵐にあう。しつけのなってない悪がきどもからはからかわれたり、馬糞を投げつけられたりと、行く先々で散々な目にあうことになる。それはそうだろう、影がないとは実体がないということであり、ようするにこの世の存在ではないということだから。

 結局、最初の約束どおり、一年後に再会した 「灰色の服の男」 に、シュレミールはもらった金袋と交換に自分の影を返してほしいと頼むのだが、かわりに 「灰色の服の男」 からは、影を返してほしけりゃこれにサインしろと、一枚の紙を突きつけられる。それにはこう書いてある。

ワガ魂ガ肉体ヨリ自然離脱セシ後ハ、本状所有者ニ遺贈ツカマツルコト、異議ナキモノナリ。

 つまり、この 「灰色の服の男」 とは、あの 『ファウスト』 にも出てくるメフィストフェレスと同じ悪魔だったのだ。あな、おそろしや。

 なんか、話がそれた。ユングの言う 「影」 とは、自己の気づかぬ半身のことであり、多くの場合、それは意識的な自己とは正反対のものである。ちょうど、鏡に映った姿が左右反対であるように。

 なので、厳格な禁欲的道徳を内面化した人は、それと正反対の放恣な性格を影として持っていることになるし、聖人君子のような利他愛を説く人は、その反対である利己性を影としていることになる。サドとマゾ、権威主義と反権威主義が相補的であることはフロムも指摘しているが、同性愛者をもっとも嫌悪し憎むものが、自身そのような傾向をかくしもっている者らであるということもよく言われる。

 つまり、ユングによれば、人は多かれ少なかれ、二重人格者だということになる。それはたぶんそうなのだろう。「人格」 というものは、みなけっして一枚岩ではないし、人間は実際そう単純ではない。もし、本当にそんな人がいるとしたら、それは平板で深みにかけた鋳型のごとき人間であるにすぎない。ちなみに、「きれいはきたない、きたないはきれい」 とは、かの 『マクベス』 の冒頭に出てくる魔女の台詞である。

 実際、明治の時代に内面的な道徳を説くキリスト教にもっとも惹かれたのは、おのれの欲望の強さに悩み苦しんだ青年らであった。それは実の姪に子を生ませた藤村の場合でも、他人の妻との 「不倫」 のすえに情死した有島武郎の場合でもそうである。もっとも、彼らのような悩みすら自覚せぬまま、たとえば聖人君子ぜんとした言動の下から、独善的な利己主義がすけて見えているような人がいれば、たしかに最悪だが。

 ネット上でよく見かける、「お前が言うなー」 とか 「それはあんただろ」 などと思わず突っ込みたくなるような非難を他人にぶつけている人は、自分の影を相手に投影して、その影に向かって非難を浴びせているにすぎない。だから、その非難が他人から見れば、その人自身にもっとも合致した言葉として、そのまま本人に跳ね返っているのにまったく気づいていない。

 おそらく、そのような人たちは、「自分はこうありたい」 とか 「あの人のようになりたい」 といったおのれの願望や理想を、そのまま自己の現実と取り違え、その結果、客観的な自己を見失い、無意識のうちに肥大したおのれの影を誰彼となく他人に投影して、人を非難しているのだろう。

 カントは、人間の経験的認識は先験的概念である 「純粋悟性概念」 とやらに基づくと主張したが、いずれにしろ、人はみな、多かれ少なかれ自己に固有の認識の枠組みというものを無意識のうちに持っている。ありもしないところにまで 「陰謀」 の影を見る人は、その人自身がそのような枠組みで世の中を見ているからにすぎないし、他人の言葉にやたらと 「悪意」 や 「嘲笑」 を嗅ぎ取る人は、たいていの場合、おのれがそのような観念にとりつかれているからにすぎない。

 なお、余談であるが、自意識過剰な 「独りよがり」 人間や、一知半解なことを知ったかした賢しら顔で言う人、あるいははったりや虚勢だけで中身のない者、物事を党派的にしか見れない者が、大きな顔で他人に大口叩いているのを見たりすると、正直言ってひじょうに 「むかつく」。その人がそういう特徴をいくつも備えていたりすると、最悪のうえに最悪である。

 ネット上の論争などで、よせばいいのに余計なことに首を突っ込むのは、だいたいにおいてそういう場合である。意見や判断、解釈などについてならば、それぞれに違いがあるのは当たり前のこと。だから、あまりのトンデモぶりとかにあきれることはあっても、それほど 「むかつき」 はしない。人間、愚かなのはそもそもの仕様なのだから。

 なので、それはなにも、敵だ、味方だ、というような話なのではない。ただ単純に、そういう勘違いをしている者とかを見ると、はなはだ 「むかつく」 ということなのであって、あくまで個人の好みと趣味の問題であるにすぎない。よけいな勘繰りなどはしないように。

 うーん、なんだか今日もえらそう。
 ひょっとすると、これは盛大なブーメランなのかもしれない(笑)


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Last updated  2009.11.16 18:17:48
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