ニート,引きこもりの原点?
先日知人とあったら,お子さんが,ニートをしているという。大変な時代だ。現代の子どもはコミニケーションする能力がないと言われる。そう思うと,思い当たる節がある。当地では小学校は,通学班があり,子どもたちは集団で学校に登校することになっている。朝,待合場所に子どもたちは集まってくる。その集まり具合は尋常ではない。相互に無言である。一切のコミニュケーションはない。時間が来たと思うと無言で歩きはじめる。我が家の子どもたちに尋ねた。「あいさつとか話すことはありえない。」というのだ。人間関係の基本は挨拶だ。お父さんの会と校長との懇談会でも尋常ではない状態について,指摘しても改善する雰囲気もない。そんなわけで,意を決して自治会の役員に子ども同士のコミルュケーションの形成のために何か,大人がすべきではないか,話した。勉強も大切かもしれない。しかし,状況に合わせて,他人とかかわりあう能力が子どもたちはにないのは現実だ。原因を考えてみた。やはり,テレビゲームだろうか。テレビゲームがない時代は,遊ぶことは,人間同士でする以外はない。今は,テレビゲームで一人で遊べる。つまり,私達の時代は通学班の子ども達は,既に遊び友達である。しかし,今の通学班の子ども達は,相互に遊んだこともなく,全くの他人なのである。こんな幼い,コミニュケーション能力の不足がニートとか引きこもりの原因になっているのではないか思うのである。親馬鹿な話であるが,さあ,どんな風にしたら子ども同士のコミニュケーションに寄与すべきか。・・・・・・・・・ ところで,家庭そろばん教室我が家の受講生は,のたりのたりやっている。ようやく20迄の足し算,引き算をやっている。あん子のクラスの数学の一番はそろばんをやっている子だそうだ。あん子も計算力に少し自信があるようだが,その子の計算力はダントツ,凄い計算力だという。丁度今日の朝日新聞にそろばんの意義の記事があった。そろばんができる人と話しているときこんな話をしていた。スーバのレジの間違いをしばしば発見するそうだ。レジの人が読み上げると同時に暗算で計算しているのだ。ほん太はゲーム感覚でやっている。二人の力は,今は10級くらか。急がわ廻れというが,そろばんの復権を願いたい。掛け算とかつ割り算はもう忘れてしまった。子どもたちが,そこまで進んでくれると私の勉強にもなる。そうしたら,電卓の代わりにミニそろばんを持ち歩いて交渉のとき,出して計算したら,どんな風に映るから,そんなつまらないことも思いながら,子どものそろばん練習を垣間見ている。