日曜日の午前
ぽん太にすすんで朝御飯の支度をさせたいと思っている。人は他人に命令されてすることは,気が進まないと思う。ほん太の意志でやるために,ほん太が朝ごはんを作るときは,前夜,スーバーに出かける。ぽん太の意志で食材の買い物をさせる。あれこれ選ぶのは,まんざらでもないみたいだ。(ときどき,女性の買い物依存症ときいうことをきく。買い物をするだけで,気晴らしになるそうだ。スーパーはともかく,高いものを買う際には,店員の応対によく,王様になった気分になる。そんな気持ちが依存症のもとだろうか。それとも,商品を手にするとき,自分の価値を認識するのだろうか。ほん太はどんなつもりで買い物をしているだろうか。)私は,ぽん太に,商品を買うとき,卵と牛乳とドレンシングだけは,贅沢をしようといっている。店で一番高いものを買うのである。ささやかな贅沢をしている気分である。しかし,他は一番安いものを選んで買う。近所のスーパーは24時間営業になっているので,買い物は楽である。しかし,気持ちよく接客してくれる店員の家庭の事情など思うと複雑な気持ちである。昔みたいに店屋が夜8時9時で閉店になるならば,そせれにあわせて買い物をすればいいだけであるところスーパーが消費者の都合にあわせて,深夜まで営業してくれるのは,ほんとうにいいことなのか,考えることがある。そんなことを思いながら,ときにはぽん太とも議論しながら,買い物をするわけである。ぽん太が家庭科で習った料理をおさらいするのである。ほん太の意志で,みずから買い物に行っているので,朝の弱いぽん太も責任を感じてかつ,自らの意志で7時に起きた。あん子との朝食の約束の7時30分を10分遅れてテーブルに朝食が並んだ。食後,私と妻とぽん太は,近所の契約農家に「いちご狩り」にあん子は午後のレッスンに備えて「朝練」とそれぞれの日曜日の午前であった。昼ごはんの支度になって,急に妻がお腹が痛いと言い出したので,子どもたち二人で冷し中華を作った。あん子が出かける際には,レッスンの先生と,場所が近いで先週理科を教わった事務員さん宅にそれぞれ取り立てのいちごをもたせた。ほん太は家庭科の教材の布を友達と買い,帰りは友達宅で遊んで来るといって出かけた。