それぞれの夏
あん子は、今ドイツに音楽の研修にいっている。ほとんど、語学力がないのに、どうしているのか、心配しようにも、こちらから連絡のしようがない。現地でも使える筈のスマートホンが使えないと知人の携帯電話で電話をしてきた。研修の場所は、田舎の町で町おこしの音楽研修のようだ。研修料も非常に安い。ヨーロッパのいろいろな国から若者が集ってくる。こんなところで、言葉ではなく、音楽で交流ができることは、うらやましい限りだ。他方、ぽん太は、遊園地のプールの監視員のアルバイトに励んでいる。朝6時ころ出かけ、夜10時ころ帰ってくる。若者同士のアルバイト監視員はノルマがなく、子どもたちの元気な姿からもお金では、得難いものがあると思っている。ぽん太は、外国には行かないといっていたが、友達に誘われて、東南アジアに語学研修に行きたい、お金を出してといいだした。予算と一つ一つ積算していくと、大変な額になった。「おとう、これだけだしてくれ。後は自分で出す。」私は、遊びのような語学「遊学」は反対だ。それでも、アルバイで稼いだお金を出すといっていること大学まで2時間もかかるのに、自宅通学をしていること無駄も勉強かと言い聞かせている。そして、ぽん太には、「遊学」の資金援助は、今回限りだ。と言い聞かせている。どんな実りの秋にあるのだろうか。