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中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

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2005.08.25
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竹原小早川領内の五輪塔の火輪のタイプについて、あらためて整理しておきましょう。

まず火輪の大きさですが、いずれも軒幅が30センチを越えず、小型の五輪塔になります。
この点から、さかのぼっても室町時代のものでしょう。

法浄寺跡棲真寺

そのなかでも、もっとも古いタイプとみられるものが、竹原小早川家の菩提寺だった法浄寺跡にある五輪塔の火輪です(写真・左側)。
軒の中心部を水平に造り、隅の近くで、同じ厚みを保ったまま反りあがります。
このタイプは、Aaタイプとします。

8月11日の記事で紹介した棲真寺にある鎌倉後期の五輪塔の火輪(写真・右側)と比較すると、屋根の反りがやや強く、軒幅の隅の反り方もやや異なります。

なお、法浄寺跡ちかくに住むおぱあさんの話によると、寺跡からは、もっと大きな五輪塔が出土したといいます。
すでに所在はわかりませんが、法浄寺には、棲真寺の五輪塔のような、鎌倉後期頃までさかのぼる五輪塔もあったのかもしれません。


つぎに、Aaタイプに似ていますが、軒の厚みを同じ幅に保ちながら、全体的にゆるく反るタイプがあります。
これは、Abタイプとします。

五輪塔Aタイプ

写真の一段目・二段目、三段目の左側の7枚が、これに相当します。
なお、写真の火輪は、一段目左側から、葛子神社周辺・法浄寺跡に隣接する墓地・浄光庵跡、二段目左側から、葛子神社周辺・吉名の寿福寺・吉名の寿福寺、三段目左側、「小早川墓地」のものとなります。

また、このAbタイプより、軒の厚さが少し厚めに造られているものは、Acタイプとします。
三段目の写真のうち、右側二枚(法浄寺跡・寿福寺)がこれに相当します。


つぎに、隅にむかうほど上部の反りが強くなり、隅で反りあがるタイプがあります。
このタイプは、軒の厚みが、中央と隅とでは大きく異なり、隅にいくほど厚み(軒の高さ)が増します。
Aタイプより新しい形で、これは、Bタイプとしましょう。

五輪塔Bタイプ

写真は、左側が「小早川墓地」、右側は東野の墓地にある五輪塔の火輪です。

このBタイプと時期的には重なるとみられるのが、つぎのCタイプです。

五輪塔C・Dタイプ

Cタイプは、軒裏(軒の下端の線)の中央は、ほぼ直線(水平)ですが、隅のところで少し反りあがり、軒の上部は、跳ね上がります(写真左側・「小早川墓地」)。
ただし、同じCタイプでも、火輪の高さが極端に低いものもあります(写真中央・葛子神社周辺)。
このため、前者をCaタイプ、後者をCbタイプとして区別しておきましょう。

また、Bタイプに類似しますが、火輪の軒裏(火輪の下端)を隅までまっすぐ直線(水平)に造るタイプがあります(写真右側・「小早川墓地」)。
このタイプは、16世紀末の慶長ごろみれら、江戸時代の特徴的な造り方となります。
隅をやや斜めに切る造り方も、江戸時代の特徴です。
このため、これは、Dタイプとして区別しておきましょう。

このように整理すると、竹原小早川領の五輪塔の火輪は、大きく4タイプ、細かくみれば、7タイプに分類できます(ただし、あきらかに江戸時代前半のものとわかるタイプは含んでいません)。

このうち、Aタイプがある場所には、14世紀までさかのぼる宝篋印塔も存在します。
はやくから聖なる空間として整備された場所と考えてよいでしょう。

ただし、個々のタイプがいくつあるのか、大きさはどの程度なのか、細かな調査と分類は、9月の調査を実施したうえで、あらためて整理したいと思います。

なお、まこべえ隊のメンバーは、9月の調査用として、この記事を印刷し持参してください。





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最終更新日  2005.08.25 13:40:32
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