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テーマ:石塔を旅する(10)
カテゴリ:竹原市・東広島市 石塔
いま忠海に残る石塔(宝篋印塔・五輪塔)のほとんどは、その比率や特徴から、16世紀以降に建立されたものと考えられます。 このため、忠海の発展も、小早川隆景の時代、賀儀城に乃美宗勝が配置され、軍港としての機能を持つようになってからだと考えられます。 ところが、地元で石塔の調査を続けているOさんのグループが、浄居寺において比較的大きな五輪塔の火輪をみつけました。 五輪塔を構成する地輪・水輪・空風輪の部材は確認できませんが、火輪は、このあたりでも立派なつくりをしています。 大きさは、高さ30.6センチ、軒幅上端46.7センチ、軒幅下端45.6センチ、軒厚右端11.7センチ(左端は上部破損)、軒厚中央8.6センチ、火輪上部幅18.5センチあります。 このあたりの五輪塔としては、堂々たる造りをしており、四面に五輪の火をあらわす「ラ」の梵字があります。 軒の反り具合も、なだらかに反るタイプで、室町期のものと見てまちがいないでしょう。 これほどの五輪塔をいったい誰が建てたのでしょうか。 詳しくはわかりませんが、小早川家一族は宝篋印塔を建てますから、造立者は、小早川関係者ではなさそうです。 いずれにせよ、この五輪塔は、忠海が乃美宗勝以前に港を押さえる有力武士がいたことを示唆するものとして、極めて基調な歴史資料です。 きちんとした保存がのぞまれます。 なお、浄居寺の境内には、このほかにも、石塔の残欠が散在しています。 いまなお調査中ですが、測定済みのデータは、以下の通りです。 〔宝篋印塔〕 相輪2個。うち1個の相輪データ、4段目まで現存。現状の高さ36.0センチ。 笠3個。うち1個の笠のデータ、上4段下2段、全体の高さ22.5センチ、軒幅24.6センチ、隅飾左右間隔8.0センチ、上部1・2段目は内側に食い込む。 基礎1個。 〔五輪塔〕 火輪1個。高さ17.8センチ、軒幅28.1センチ。 水輪4個。うちG1の最大径29.9センチ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.03.21 18:00:34
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