今から40年以上も前のその昔、私が小学校の門を出ると一匹の昆虫がいました。
その昆虫と一緒に砂利道を家路に着いたときの想いをベースにして書いたたものです。
こんなものは童話とはいえないかも知れませんが・・・・・・
「三つの面倒」
啓太はいつもの授業が終わり一人で小学校の正門を出ました。すると突然
「おい、そこの君、啓太君だったかな、今、帰るところかい」と声をかけられました。
啓太は辺りを見回しましたが誰も居ません。おかしいな、声はするけど誰一人
として姿が見えないのです。
しばらくすると、今度は「ここだよ、ここだよ」と地面の方から声がします。地面
をよく見ると小さな昆虫が一匹いました。なんとそれは、ハンミョウだったのです。
啓太はずいぶん前に、偶然、啓太が歩く前をどこかに案内するかのように一緒
に行動をする不思議な昆虫と出会いました。啓太にとっては、その昆虫の行動
がとてもおもしろかったので、図鑑で調べたことがあったのでした。別名、「道教
えの虫」とも言うハンミョウでした。
啓太は「なんだ、ハンミョウか、だけど君は人間の言葉を話せるんだね」
「ああ、君とは特別さ、啓太君と話したくて」と、ハンミョウが言いました。
さらに、ハンミョウは
「啓太君、今日は君を特別に案内したいところがあるのだけどいいかな」と、
尋ねてきました。啓太は「今日は塾に行く日ではないからいいよ」と、ハン
ミョウに応えました。
ハンミョウ・・・・・2006年8月 実家の庭先にて撮影
ハンミョウは啓太だけに対する特別な動きではない、いつものとおりの歩く
人の数メートル先を地面に止まってはまた数メートル先に飛び、また地面
に止まるという動きを繰り返し、啓太をどこかに連れて行こうとしています。
啓太は、それにしてもハンミョウの動きっておもしろいな、今度いつか、
なぜ人の前を決まった動きでどこかに連れていくようなことをするのか尋
ねてみようと思ったのでした。
啓太は数メートル前を行くハンミョウに「僕の名前を啓太ってなぜ知って
いるの」と尋ねて見ました。すると「ああ、それは君の学校での行動をい
つも観察しているからなんだ。そこで、君の名前を知ったのさ、もちろん
啓太君の授業態度もよく知っているよ。君の授業参観はしょっちゅうして
いるからね」と返ってきました。
ハンミョウの動きが突然止まりました。「ここだよ」とハンミョウが言った
場所は広い道路に面し高さが十メートルくらいの土手でした。そしてその
土手は小さな竹の笹で一面が覆われていました。
「さぁ、ここから」と、ハンミョウは突然、竹の笹の向こうに消えてしまいま
した。
啓太も竹の笹の中に入っていきました。竹の笹の中にはトンネルがあ
りました。トンネルは子供が立って歩けるほどの高さで長さは啓太の足
で二十歩くらいありました。そのトンネルの先には広い部屋がありました。
そしてテーブルと椅子があり、テーブルの上には、なぜかモヤシがカゴに
たくさん盛られて置いてありました。
ハンミョウが「啓太君、今日はこのモヤシのヒゲ根を取ってもらおう。
モヤシの根の方はヒゲみたいに細くて長くなっているだろう、それを取っ
て欲しい」。啓太は「これを全部ですか」「ああ、そうだよ」とハンミョウは
当たり前のように答えたのでした。啓太は、お母さんがモヤシを料理す
るとき「ヒゲ根をとると美味しいよ」と言って取っていたのを思い出しまし
た。
啓太はモヤシのヒゲ根を一つ一つとりながら、なんて面倒な細かい
作業だろうと思いました。そしてウンザリしました。それは、啓太のお
母さんが料理で使うモヤシの量とは比べられないほどたくさんあった
からでした。
モヤシのヒゲ根を一時間くらい取ったところで「今日はもういいよ。
だけど今日のこのこと、それから、この場所のことは絶対に秘密だよ。
誰にもしゃべってはいけないよ」とハンミョウから口止めをされました。
翌日、小学校の正門のところにハンミョウがまた待っていました。
「啓太君、今日も僕に付き合ってくれないかな。ねえ、いいだろう」と
言ってきました。「今日は塾に行く日なんだけど」と啓太が言うと「いい
じゃないか、学校でしっかり勉強すれば」と、ハンミョウはしつこく誘っ
てきました。啓太は仕方なく「いいよ」と、軽く会釈をしてハンミョウに
ついて行きました。
竹の笹の葉を抜けて部屋に入ると、今度はタマネギがたくさん置
いてありました。ハンミョウが「今日はこのタマネギの皮を剥いても
らおう」と言いました。タマネギは百個ほどありました。タマネギの
薄い皮はなかなかうまく剥けません。昨日のモヤシのヒゲ根とりも
たいへんだったけど、タマネギの皮を一枚ずつ剥いていくのもとても
面倒でした。それでも啓太は黙々とタマネギの皮を剥きました。
一時間くらいたって「今日はここまで、もう帰っていいよ」とハンミョウ
から言われ、我が家への道をトボトボと帰りました。その帰り道、
ハンミョウから、なぜ、モヤシのヒゲ根とりとかタマネギの皮剥きとか
させられるのだろうかと思ったのでした。
また、その翌日、正門のところでハンミョウが待っていました。「ね
え啓太君、今日が最後だからまた付き合ってくれないかな」「えっ、僕
もういいよ。おとといはモヤシのヒゲ根とり、昨日はタマネギの皮剥き、
なんで僕にあんな面倒なことばかりさせるの」と啓太は少し怒った口
ぶりで言ったのでした。「その答えは今日、教えるから。ねっ、お願い」
と言われ、啓太はまたハンミョウに付き合うことになったのでした。
竹の笹の葉の向こうのハンミョウの部屋には大きなボウルに水が張
られ、その横にたくさんのゴボウがありました。ハンミョウが包丁を指差
して「この包丁で今日はこのゴボウのささがきをやってもらおう。ささいだ
ゴボウはそのボウルに入れて」と言いました。「ゴボウのささがきってど
のようにするの」と尋ねるとハンミョウは「鉛筆を削る要領でいいのだけど
ゴボウを回転させながらするとうまくいく」と教えてくれました。啓太はナ
イフで鉛筆を数回削ったことがありましたが得意ではありませんでした。
ゴボウのささがきが「モヤシのヒゲ根とり」と「タマネギの皮剥き」と違う
ところは小刻みに手を動かさなければならず、包丁で怪我をしないように
気をつけることでした。
慣れない手つきで、ゴボウのささがき始をめてどうにか一時間くらい経ち、
啓太がウンザリしているところで「啓太君、今日はありがとう。そしてまた
三日間も付き合ってくれてありがとう。実は啓太君の授業態度を見ていて
何か集中していないというか、粘りのようなものがないというか、そのように
見えたものだから、君に根気、粘り強さを持ってもらおうと思って誘ったんだ。
モヤシのヒゲ根とり、タマネギの皮剥き、ゴボウのささがき、どれも面倒だっ
たと思う。しかし、おいしい料理を食べるためには何でも下ごしらえという準
備が必要なんだ。三日間でやってもらったことは面倒で退屈なものだったか
も知れない、しかし、このことがひじょうに大切で重要なんだ。とても面倒で
繰り返ししなければならないことでも最後まで心を込めてやり遂げる、決して
放り出してはいけない。その粘り強さを啓太君にわかってもらいたかったのさ」
と、ハンミョウの長い話が終わったのでした。
翌日、学校の正門を出るとハンミョウはいませんでした。帰り道、三日間、
あんなに面倒なことをさせたハンミョウだけど、会えないと寂しいなと思い
ました。そして、大事なことを忘れていることに気づきました。それは、「なぜ
人の前に来て道先を案内するような不思議な動きをするのか」という、一番、
知りたかったことをハンミョウに尋ねることでした。
そのまた翌日、家に帰るとお母さんが夕食の支度をしていました。何とゴボウ
のささがきをしていたのです。啓太は「お母さん、僕にもやらせて」と、お母さんの
横に立ちました。
「啓太はどこかでゴボウのささがきをやったことがあるのかい」と、お母さんが
尋ねました。啓太は「い、いや初めてだよ」と応えました。