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2008.07.16
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カテゴリ:短編小説

                 「スーツケース」

 長崎の街に単身赴任をしてやがて1年半が経とうとしていた。浩一の勤め先は油木町といい、
プロ野球のオールスターゲームも開かれたことがある長崎ビッグNスタジアムのそばにあった。
浩一の宿舎である単身寮は浦上川沿いの長崎市の中心地に向かったところにあった。職場から
歩いても30分ほどの距離である。浩一の通勤手段はバスであったが、天気のいい日には浦上
川のゆったりとした流れと川沿いに植えられた柳が風に揺られるのを見ながら、ゆっくりと歩
くのをとても気に入っていた。
 浩一は社交的で明るく、男にしてはお喋りであった。そんな浩一の人なつこい性格は転勤先
で職場以外にも知人がすぐできた。
 単身赴任者にとって余りあるものは誰からも束縛されない自由な時間だけである。妻からあ
れやこれやと指図されることもない。長崎の街で浩一がその自由な時間をどう使うかを遠く離
れた家族は知る由もなかった。その自由な時間は居酒屋で費やされるのが主であった。
 浩一には長崎へ赴任して3ヶ月も経った頃、行きつけの飲み屋が数軒できていた。そこでは、
近くのホテルの経営者、ガス会社の社長、バスの運転手、長崎ならではの建造中の豪華客船の
電気工など、いろいろな人と談笑し、お酒を楽しく飲んでいた。行きつけの飲み屋は左手に厨
房があり、6名ほどしか座れない小さなカウンター、奥に畳があり20名ほどが座ることが
できた。
一品料理が殆どであったが、冬場のおでんの大根は特にうまかった。その店の名を
「ふきのとう」
と言った。
 「ふきのとう」の女将は浩一より5・6歳くらい年上に見え、50代半ばであろうと思わ
れた。そして一人で店を切り盛りしていた。また、笑うと豪快、いつも大きな声、そして、
とても快活で明るい人であった。

 そのお店「ふきのとう」でいつものように飲んでいたある日、年の頃は浩一より3・4歳
若く見え、やや痩せていて神経質そうな男が海外旅行に使う大きなスーツケースを床の上を
滑らせながら入ってきた。男は小さなカウンターの前に座って黙ってビールを飲み始めた。
ばらくすると携帯電話で何か話し始めたが、声が小さくてその内容は聴き取ることができ
なかった。「ふきのとう」では初めて見る顔であった。
 数日後、暇な浩一は寮までの長い距離と寮へ帰ったら誰もいない部屋に明かりを灯すとい
う寂しさを紛らわすために、また、いつものように「ふきのとう」に立ち寄った。浩一の眼
に飛び込んできたのは海外旅行に使う大きなスーツケースであった。あれは、先日のあの神
経質そうな男が持ってきたものではないか。浩一は冷たいビールで喉を潤すと、女将に「あ
のスーツケース、この前の初めて来た男が持ってきたものではないか」と尋ねると「そうな
のよ、あの日ちょっと預かっていて欲しい、と言われたものだから預かっているのよ、だけ
どあれから何も連絡がなくて」と、女将も困っている様子であった。
 女将が言うにはスーツケースはしばらくしたら取りに来るから預かっていて欲しいという
ことで、そしてまた、その男は連絡先として携帯の電話番号を書いたメモを置いていったと
いう。
 その携帯に電話するが電話に出ないというのだ。それから一月が経ち、二月が経った。や
がて半年が経っても大きなスーツケースは畳席の片隅に置かれたままであった。
 常連客の間ではスーツケースの中身について、汚れた衣類、それも下着が入っていると
か、乾物類、麻薬、単なる書類などとかいろいろな憶測が飛び交った。スーツケースは施
錠されており誰も開けることができなかった。
 それからまた幾月かが経ったある日、女将が言った「思い切って警察に相談してみよう
か」
「それがいい」、浩一も周囲の常連客も女将の言葉に連れられるように頷いた。
 女将は警察へ事情を伝えた。スーツケースには事件性のあるものが入っているかも知れな
いとまで話し、どうにかできないかと訴えた。女将は「警察は単なる道端で落とされたも
のでないこと、あなたの店での忘れ物なのでということで取り合ってくれなかった」と受
話器を置いて話してくれた。
 「ふきのとう」の女将も、そこに居た客たちも警察が「今からすぐにその店に行きます」
と言ってスーツケースを見に来てくれるかということに期待をかけていたが、それは思い
どおりにいかなかった。
 それから三ヶ月後、浩一は熊本への転勤を命ぜられた。浩一は「ふきのとう」の女将に
スーツケースの中身にとても興味があるから、中身が何かわかったときには教えて欲しい
と頼んで長崎の街をあとにした。
 浩一が油木町の職場の最後の勤務の日、ああ、これからこのバスに乗ることもないのだ
と思いながら、始発のバス停に止まっているバスに乗り込むと、運転手が運転席に座った
まま私に手を上げた。その運転手はなんと「ふきのとう」の常連客である山木ではないか。
山木が運転するバスには何度か乗車したことがあったが、始発からのバスに乗ったのは初
めてだった。
 長崎、最後の日に知人が運転するバスで帰る。それも降りるまで誰一人乗ってくること
がなく、二人きりであった。一番、前の席に座った浩一は山木に出会えたこと、いろいろ
な会話ができ楽しい思い出ができたことを伝えた。
 その年の暮に「ふきのとう」の女将から「お店を閉めることになり、さよならパーティ
ーをするので長崎へ出かけてこない」かという電話をもらった。スーツケースの事を訊く
と、まだお店にあるという。
 浩一は長崎の街が恋しくなりかけていたこともあり誘いを快諾した。さよならパーティ
ーは懐かしかった。彼女に振られたとしょげていた河田、バスの運転手の山木も来ていた。
皆と楽しく飲んだときの月日が鮮明に蘇った。そして浩一は激しく酔った。
 浩一は酔った勢いで「皆さん、今から私も皆さんもとても気にしているスーツケース
を開けてみることにしませんか」と、大きな声で言った。
 「止めたがいいよ」「いや、開けてみよう」と、いろいろな声が上がったが、開ける
という意見が大勢を占め、開けることになった。
 浩一は女将にドライバーを貸して欲しいと言った。女将は厨房の奥の方からドライバ
ーを持ってきた。浩一は、そのドライバーでスーツケースの鍵の部分をこじ開けた。
スーツケースが開いた。そこに居た者は、スーツケースの中身に唖然とした。女将はそ
こに座り込んでしまった。


*是は3年前に別のブログに掲載したものです。



 






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最終更新日  2016.10.31 12:15:45
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